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2007年11月09日(金) 12時04分

バレーボールの必殺技〜ひとり時間差攻撃〜ツカサネット新聞

先日、たまたま見た番組で日本が編み出した「バレーボールの必殺技特集」をしており、懐かしい気持ちでいっぱいになった。その3種類の必殺技と、それに関するエピソードをシリーズでお届けしたいと思う。

まず「ひとり時間差攻撃」。これはスパイクを打つとき、相手コートの選手のブロックのタイミングを外す方法として、小柄な日本選手が偶然編み出したもの。そのパイオニアといえば「ミスターバレーボール」といわれた森田淳悟選手。小柄とはいえ194cmとテレビで紹介していた。

あれっ? 196cmじゃなかったっけ? 当時、中学生だった私は全日本選手のフルネームと背番号、そして身長まですべて覚えていたが、記憶違いだっただろうか? ちなみに森田選手は、横田忠義選手、大古誠司選手と同じ身長で、「三羽ガラス」と呼ばれていた。その他の選手も含め、中学のバレーボール部では応援する選手を個別に決めていた。私は、大古選手の担当になった。その「ひとり時間差攻撃」はミュンヘンオリンピック(1972)の決勝戦まで封印されていたという。そのことは、今回テレビで初めて知った。

全日本男子チームは、東京オリンピックで「銅」、メキシコオリンピックで「銀」を取ったが、いつも女子チームの影で悔しい思いをしてきた。そういう経緯もあり、ミュンヘンでは絶対に「金」を取りたいというのが彼らの悲願だった。しかし、決勝の「東ドイツ(当時)戦」よりも、その一歩手前・準決勝の「ブルガリア戦」のほうが絶体絶命の大ピンチだった。バレーボールのスコアーブック記帳ができる私は、真夜中に起きてテレビにかじりつき、試合のスコアをつけていた。そして、それをレポート用紙に文章化してまとめ、チームメイトに渡すというサービスまでしていた。

当時、我が家のテレビは白黒だった。バレーボールの過去の試合特集で、ミュンヘンで活躍した男子を取り上げることが少ないこともあり、今回、初めてカラーでそのときの試合を観てとても感激した。勉強そっちのけで明け暮れたバレーボール。といっても万年補欠。むしろ、選手というよりも、スコアラーとしてのベンチ入りをした。それは、中学1年秋の「新人戦」のときから、3年の夏に引退するまで2年間に渡った。しかし、そのことにより「縁の下の力持ち」として動ける喜びを味わうこともできた。また、スコアーブックの記帳ができることは、ちょっぴり自慢だった。

あれから30年以上の歳月が経っても、やっぱりバレーボールが好きなのだなと再認識している私だ。


バレーボールの必殺技〜回転レシーブ
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(記者:翔子)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071109-00000014-tsuka-spo