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2007年11月09日(金) 10時45分

母への積年の想いツカサネット新聞

まさか、この年になるまで複雑な母への想いに囚われようとは予想していなかった。いや時間が経つにつれ、憎しみは深まるばかりだ、どうにかならないものか。

私の育った環境は、三人兄弟の真ん中で次女とくれば、これだけでひねくれ者と思ってもらってかまわない。下に弟が生まれたものだからたまらない。私が生まれた時、父は病院に来ることは無かった。理由は「また女だったから」、役所への出生届けも期限内に出来ず、しかも、知人に依頼したので始末書を書くのに大変だったとか。なぜ知っているかというと、母がことある毎に私に話してくれたからだ。弟は欲しい物は大抵手にすることができたし、父の膝(の上)も完全に一人占めできた。一度姉と私で父の膝を取り合ったことがあったが、祖母に「あんたらのお父さんじゃない、○○(当然弟の名前)のお父さんじゃ」とまで言われてからは、二度と父の膝に抱かれることはなかった。弟が小学校の修学旅行で家を空けた日に目には涙が光り、高校生になってからも毎朝玄関で見送り、すかさず二階へ駆け上がると自転車に乗って遠ざかる姿を見つめていた母。そんなに男の方が良いものか。

小学生の時、事故に遭い足に障害を負った。「事故の日は、風邪気味だったのについてきたから(お前が悪い)」と言われ、幼いころ寝相が悪く「親をよく蹴ったりしていたからそのせいだろう…」と繰り返し聞かされた。7歳の子供にどんな責任があるというのだろう。

自分も三人子供を持つことができたが、どの子がかわいくて、どの子がそうで無いかなんて考えた事もないし平等に愛している。仮に差ができたとしよう、そんな時は「平等に愛しているのだよ」と装うことにしよう、自信はある。それが親としての最低条件だ。




(記者:アガシ)

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