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2007年11月07日(水) 12時46分

それでも私はNOVAに行ってよかったオーマイニュース

 経営破たんした英会話学校最大手の「NOVA」。今も残る絢爛豪華な社長室に反感を抱いた人も多いだろう。しかし、この社長が、これまでの英会話学校の業界に一石を投じたアイデアマンだったのも事実だろう。

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 2007年初頭までの約6年間、私はNOVAに通っていた。

 当時、レッスンに行くのは本当に楽しかった。まず、単純に外国人と話すのが楽しかった。レッスン時間は当日予約まで可能で、かなり自由が利いた。レッスンは全て英語。日本語のわからない講師がほとんどだった。

 1レッスンの生徒数は最大4人まで。うつむいてやりすごすとか、笑ってごまかすというのが出来ない少人数だ。初心者でも上級者でもこのスタイルは同じである。この「絶対ネイティブと話す」という環境が、向学心をかきたてた。

 レベルアップシステムも、やる気をおこさせるうまいやり方だった。レベルは全部で9段階。上になるほどレベルアップは難しくなるが、最初は比較的早く上がることができる。生徒同士では、レベルを聞くと、どの程度話せるのかもわかる。ちなみに私は7Aから初めて3で終了した。

 レッスンは同じレベルの生徒と受けるのだが、自分が「他の生徒より話せているな」と感じた時は、そろそろレベルアップの予感だ。レベルアップする生徒には、レッスンの後、みんなの前で、講師から次のレベルへの推薦状が手渡される。この時、他のクラスメートから羨望のまなざしを受けるのだ。

 レッスン以外でもNOVAにはユニークなシステムがあった。ソファが置かれた8畳くらいの部屋で、生徒と講師が英語で自由に話をするボイスルームと呼ばれるシステムだ。生徒はレベルに関係なく、何人でもボイスルームに参加出来る。

 1日1500円のチケット制で、出入りは自由。1日何時間居てもいい。しゃべれる人にとっては、かなりお得なシステムだ。超初心者の入学当初、私はこのボイスルームで、生徒が私1人だけという状況になってしまい、とにかく必死で聞いたり話したりしたため、その日の夜、知恵熱を出したことを覚えている。

 そのボイスルームで、私は「NOVAだち(NOVAで知り合った友達を私たちはこう呼んでいた)」をたくさん作ることが出来た。日常では知り合うことの無い、美容師や主婦、医師、一流企業の部長まで、さまざまな年齢や職業の人と友達になった。

 たまにレッスンの後、飲みに行ったり、悩みを聞いてもらったりもした。NOVAだちが出来、今も交流が続いている。ちなみに、NOVAでは、講師と生徒の学校外での接触は禁止されている。昔、ある講師が、生徒を妊娠させてしまい、その生徒の親が一部上場企業の役員クラスだったため、学校に圧力をかけ、それから、生徒と講師の学校外での接触が禁止になったとの噂が、生徒の間でまことしやかに囁かれていた。

 2007年のはじめ、数枚残ったチケットの有効期限が切れ、私はそのままNOVAをやめることになった。

 続けなかった理由は、私自身、これ以上英語力を伸ばすためには、単語力をつけるなど独学での勉強が欠かせなくなってきた、と考えたためだ。加えて、去年くらいから、本当に予約が取れなくなったことが大きかった。

 支店を増やし過ぎたためか、講師が足りていないように見えた。講師の人件費節約のためか、ワーキングホリデービザなどで来た、短期のパートタイムの講師が以前より増えていた。

 レッスンの予約が取れない状態で、「いっぱい聞けて、いっぱいしゃべれない」英会話学校に、生徒は不満を募らせていったのだ。

 けれども私は、学生時代は英語が不得意だったにもかかわらず、30歳から始めたNOVAだけはまじめに続けることができ、約1年半後には英国に語学留学までした。NOVAが、私の人生の可能性を広げるきっかけになったと言っても過言ではない。私は、NOVAに行ってよかった。

(記者:川村 洋子)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071107-00000000-omn-soci