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2007年11月05日(月) 10時52分

白夜行、ドラマは小説の解答だったツカサネット新聞

今回の月9のドラマは「ガリレオ」
東野圭吾の小説を原作としたドラマです。

東野圭吾といえば、以前「白夜行」もドラマ化され話題になりました。
私は原作を読まずにドラマを見ました。見ていて思ったのは、展開が早すぎるということでした。一つ一つのエピソードをもっとしっかり見せる方が良いのではないか、という感想を持ったことを覚えています。

しかし、内容は興味深いものでした。いつか原作小説を読みたいと思ったほどです。しかし、その原作小説はかなりの厚さがあります。読むのを躊躇する程の厚さです。その為、ドラマが終わってすぐにでも読みたいと思った小説も、なかなか読むことはありませんでした。

今回少し時間が出来たため、小説「白夜行」に挑戦することにしました。
そして読み終わった感想です。

小説とドラマは別物である。別物といっても、全くの別物ということではありません。どこが違うかというと視点が違うのです。

小説は主人公の二人を周りの人の視点から話が進んでいきます。中心にいるのは主人公の二人ですが、その中心に向かって周りの人たちが色々な心境を持つそんな感じになっています。ですので、色々なエピソードがあるのですが、その答えは厳密には分かりません。周りの人の推理はありますが、それはあくまで推理、本当の答えは東野圭吾しか分かりません。

そしてドラマは、二人からの視点で話が進んでいきます。小説で書かれたいたエピソードを主人公達の視点で話が進んでいくのです。小説では書かれていない視点でドラマは進行しているのです。

いうなれば、小説のエピソードの解答がドラマということです。もしくは白夜に照らされた主人公達を正面から見たのがドラマ版、後ろから見たのが小説版という感じがします。

小説を書いた東野圭吾しか知らない、その解答に挑戦したのがドラマということになります。その解答があっているのかどうかは、東野圭吾しか知りません。しかしその挑戦はなかなか面白いと思います。

小説を読まなければ、この小説とドラマの関係に気付くことはありませんでした。どこに何があるか分かりません。関係に気付くには何かを起こさなければなりません。犬も歩けば棒にあたる、この諺には現在二つの意味があります。今回私は良い方の意味になったように思います。




(記者:amu)

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