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2007年11月03日(土) 08時41分

遷都論(首都機能移転を考える)ツカサネット新聞

以前東京に住んでいた頃、毎日毎日何かに背中を押されているような気がしていました。要するに、東京に住んでいるとゆっくりした気持ちを持つことがなかなか難しいと言うことです。私は長い間の地方都市での生活経験がありますので、比較の中でそのようなことを感じるのですが、子供の頃からずっと東京暮らしをしている人には、そのように感じられることは少ないでしょう。

東京に住むと言うことは、それを意識するしないにかかわらず、都市の規模とその複雑さに対応しながら生きることであり、数多くの事柄に毎日の生活が左右されることになります。言うまでもなく東京は日本の政治・経済・文化の中心です。そして一極集中が進む中で、東京はますます膨れ上がろうとしております。

東京に住む人は、自己の生活を守るため、又より上手く生活する気持ちが強ければ強いほど、おのずと周囲の環境をすばやくキャッチする能力に長けてきます。そうすると、自然と目先のことに目を奪われてしまい、広く世の中を見つめたり自分を見つめたりする機会が少なくなります。ゆっくり考えたりしていると周りに置いてきぼりを食ってしまうので、そうはしておれません。

こうして毎日毎日が過ぎて行きます。言わば自分の意思には関係なく、否応なしに世間の大波に飲み込まれて行くわけです。このような生活を送っておられる方は、東京人には多いのではないでしょうか。人はよく「東京は人の住むところではない!」などと言います。だれもがこの町の非人間性を感じているからなのでしょう。かと言って東京を離れることが出来ないのが現状です。

人は皆自分の住む周囲の環境に合わせて生きております。いかにインターネットやテレビ・新聞などを通じて遠いところにある情報を得たとしても、本来、人間はアナログなのですから、肌身に接している周囲の環境や付き合っている人達との交流の中で、基本的にはそこで自分の存在を表現して行くこととなります。したがって東京に長く住んでいると、地方社会のことを頭では理解していても、実感として感じ取れなくなってしまいます。東京中心にしかものを考えることが出来なくなります。

政治・経済・文化のすべてが東京の村意識の中で醸成されて行きます。政治の永田(村)、経済の丸の内(村)新宿(村)と言った風に、そこに住む人々の交流の中で阿吽(あうん)の呼吸が働き「日本国」と遊離した「東京国?」が作り上げられて行くのです。

しかして、バチカン市国がローマの中に一国を構えるように、「東京国?」と言う国が「日本国」の中に一国を築いて行くことになります。バチカン市国のように別の国家であればそれも良いのでしょうが、日本国の場合はそうは行きません。「東京国?」と言う異質の国が「日本国」をリードして行かなければならないことになります。そしてこのようないびつな形は癒着と隠蔽の社会構造が生まれやすくなるだろうと思います。

私はこれ以上東京が大きくなるのに危険を感じます。まずは物理的な危険性である地震などの自然災害、テロなどの人為的災害、そして都市間格差による経済成長の鈍化、東京と地方都市間のコミュニケーションの劣化、一極集中がもたらす人心の荒廃など等、このまま放置することは将来の大きな禍根を残すような気がします。

最近、ほとんど話題にも上らなくなりましたが、私は今ここであらためて「遷都」を提言したいと考えます。「遷都」こそが21世紀日本の大改革の端緒になるのではないかと考えます。


(記者:浅香拓郎)

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