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2007年10月01日(月) 11時17分

便利屋か奴隷のような日経の新聞奨学生MyNewsJapan

 私は日経新聞の新聞奨学生として、新聞配達をしながら大学に通うはずでしたが、現在は事故に遭って休職中です。バイクは積載重量オーバーだし、坂道が多い地区なのにベテランより多い部数を配達させられ、辞めたくても金銭的な理由から辞められない。まるで奴隷のようでした。

 もともとわたしが新聞配達の仕事を始めたのは、両親に経済的な負担をかけずに大学で学びたいと思ったから。高卒後、就職したので、学生の体験もしてみたかったのです。そのための方法を模索していたところ、新聞奨学生制度を知った。寮に住み込み、新聞を配達することで奨学金が得られる。これしか方法がない。わたしは日経奨学育英会の新聞奨学生制度に飛びついた。

 大学は4月からでしたが、1月から仕事を始めることにして、すぐに原付免許を取りました。 配属先は、東京都北区にある日経・赤羽西部という店。ここは起伏の激しい丘陵地帯にビルや民家が広がる街で、いたるところに坂道や石段がある。路地が迷路のように入り組み、T字路の死角も多い。これだけ危険の芽がひそんでいる地域で新聞配達のバイクを走らせていたことに、われながら驚く。

 今年の3月、業務中にバイクが乗用車と接触して、わたしは救急車で病院へ搬送された。休職の身になっても、労災の手続きをなかなか踏んでもらえませんでした。

 しかし今にして思えば、新聞奨学生としてスタートを切った時点から、おかしなことが多かった。たとえば寮は個室こそありましたが、わたしがあてがわれた部屋の窓は鍵がこわれていた。繰り返し修理をお願いしても、応じてもらえない。ドアも薄くて音漏れが激しく、簡単に侵入されるのではないかという不安がありました。

 朝刊の配達は、午前3時から7時半ごろまで。配達部数は、朝日新聞が約220部、日経新聞が約100部、毎日新聞が約30部、それにスポーツや業界紙が若干あり、合計すると400部近く。日経の奨学生なのに、日経新聞の倍以上の朝日新聞を配っていました。

 夕刊は午後3時から6時ぐらいの時間帯に配達する。1日の労働時間は7時間を超える。その他、時々、宣伝物の全戸配布などを命じられる。寮に住んでいるので断るわけにもいかない。

 当初、わたしは自分が飛び込んだ世界になんの疑問も感じませんでしたが、最近、自らの労災を考える中で、自分が配っていた400部という部数が異常な数字であったことを知りました。ベテラン配達員でも300部が限度なのです。20年近く前に、読売新聞の販売店で新聞奨学生の「過労死事件」があったそうだが、犠牲者が配達させられていた部数ですら300部だったと知り、開いた口がふさがりませんでした。

 しかも、わたしが配達を担当していたのは、坂が特に多い危険な地区。その上、新聞の投函を忘れると、罰金も徴収されていました。

 わたしは自分がとんでもない販売店主に雇われていることにようやく気づき、怒りをバネに、労務や安全について調べると、他にも問題がありました。たとえば道路交通法によると原付バイクの積載重量は30キログラム未満なのですが、新聞をバイクに満載すると90キログラムにもなって、重量を3倍近くもオーバーします。その状態で坂道を走るのだから命がけです。しかも、朝方の大通りを走る車は、矢のように走り抜けていく。

 労働時間もかなり長かった。日経育英奨学会のホームページに掲載されているタイムスケジュールの実例によると、朝夕刊の配達時間は合計で4時間ぐらいである。ところがわたしが働いていたのは1日7時間以上です。

 このようにわたしが「便利屋」のように使われていたのは、新聞奨学生の給与体系に原因があるようです。普通、新聞配達の人件費は、配達部数に比例するのですが、奨学生は固定給(9万3000円。時給約550円。ただし事故の時は、入学前だったので、アルバイトの扱いになり月に15万円程度。)なので、奨学生に関しては、配達部数に制限を設けない慣習になっていたと思うのです。しかも、1年以内に奨学生を辞めれば、奨学金の返済義務が生じるので、苦しくなっても新聞を配達し続けなければならない。

 新聞配達をしていて唯一、楽しかった思い出は、お客さんが差し入れをしてくれたことです。

「女の子なのに頑張って、偉いわね」

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