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2007年04月26日(木) 07時51分

4月26日付 編集手帳読売新聞

 俳優の小沢昭一さんが東京・四谷の街を歩いていると、お稲荷さんの前あたりから妙な話し声が聞こえてくる。何かと思えば、先代の林家正蔵さんが誰もいない所で落語を演じていた◆たずねると、「神様に聞いてもらっている」、正蔵師匠はそう答えたという。作家関容子さんの近刊、対談集「再会の手帖(てちょう)」(幻戯書房)のなかで小沢さんが語っている◆その回想に添えられた小沢さんの言葉がいい。「言わば今日(こんにち)さまに捧(ささ)げるってことで…」。その日一日を守ってくれる神様、おてんとうさま——「今日さま」という昔懐かしい言葉に久しぶりで出会った◆夏目漱石の「坊っちゃん」にも下宿のおかみさんが「それぢゃ今日様へ済むまいがなもし、あなた」と語る場面があった。以前は誰もが耳にもし、口にもした言葉だろう◆林道整備に密室の談合あり。球団に裏金あり。電力会社に事故隠しあり。冷凍食品の大手企業に売上高の水増しあり。そういえば神様に一席聞かせた先代ならぬ売れっ子の当代にも、所得を隠した、隠さない、の騒動があったような◆世の中が一斉に夜行性の魔法をかけられたかのように、おてんとうさまや今日さまを忘れた出来事がつづく。関さんの著書には「また逢(あ)いたい男たち」と副題がついていた。また逢いたい、逢わねばならない言葉たちもある。

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20070425ig15.htm