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2007年04月20日(金) 00時00分

消える“名士の誇り”日本紳士録…120年の歴史に幕ZAKZAK

詐欺事件やット発達、個人情報保護で逆風吹く

 人名録の元祖「日本紳士録」(発売・交詢社出版局、発行・ぎょうせい)が今月刊行の第80版で休刊することになった。約120年にわたり、時代のキーマンを網羅し、著名人のステータスともいわれた同書。だが、詐欺事件やネット情報網の発達、個人情報保護意識の高まりという時代のあおりを受け、その歴史の幕を閉じることになった。

 「日本紳士録」は1889年(明治22年)、福澤諭吉の主唱のもとで創設された社交団体「交詢社」(1912年に財団法人化)によって東京、横浜を中心に1円50銭で発売された。当時の掲載件数は約2万3000件で、掲載基準が高額納税者だったことや「人名録」が皆無だったことから初版は飛ぶように売れ、1892年の第2版では自薦・他薦の掲載希望者が殺到、一挙に1万件増の3万3000件の人物が収録された。

 「企業人や文化人にとって、この紳士録は大きな広告であると同時に、立派な人として見られるという一つのステータスとなったんです」と話すのは、交詢社出版局営業本部長の鳥海正氏。

 「人格、識見ともに日本人の代表たりうる人」との一定基準が定着した後も掲載希望者は後を絶たず、最盛期には14万人が名を連ね、住所や連絡先、職歴に学歴、趣味や宗教に至るまでの多彩な情報が盛り込まれた上、レトロ風の赤い装丁と高価格も相乗し、まさに貫禄(かんろく)ある人名録となった。

 「掲載されたことをとても喜んでくれ、手紙を送ってくれる方もたくさんいました」(鳥海氏)

 しかし、時代の流れは時に“逆流”になった。その一つが詐欺事件。無料掲載なのに、詐欺集団が名簿から電話を掛け、「掲載料を頂くことになった」と、お金をだまし取る事件が相次いだ。14億円以上もだまし取られた会社員もいたという。

 デメリットが表面化するすると、少しずつ希望者は減少していった。

 決定打となったのが、個人情報保護意識の高まりと、通信情報網に代表されるネット社会の発達だった。

 「日本文化の一つとして何とか紳士録を刊行し続けたい」との思いから、鳥海氏は掲載許可をもらいに各方面に地道に出向いて回ったが、成果は得られなかった。

 06年の個人情報保護法の施行も影響して、第80版では掲載件数がついに10万件を切った。「休刊というより、事実上の廃刊。まあ、それが社会の趨勢(すうせい)ですから仕方ない。情報制限して載せたところで、紳士録の価値はないですから」

 「日本紳士録」刊行にあたって、71年に財団法人交詢社から独立した交詢社出版局も、第80版(11万800円)の販売を見届けた後に解散するという。

ZAKZAK 2007/04/20

http://www.zakzak.co.jp/top/2007_04/t2007042018.html