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2007年04月01日(日) 08時01分

河口恭吾、桜の季節にもう一度「桜」咲かせる!サンケイスポーツ

 50万枚を売り上げた代表曲「桜」から4年。シンガー・ソングライター、河口恭吾(32)が満開の桜に見守られ、再び飛躍を狙っている。18日に新曲「幸福の歌」をリリース。無我夢中で駆け抜けてきた20代を過ぎ、いつのまにか“つまらない大人”になりつつある自分自身と、同世代への思いを込めて「団塊ジュニア世代の代表曲」を目指す。

 やはりこの男には春が似合う。平成15年4月にシングルカットされた「桜」(当時のレコード会社が事業撤退したため同年12月に再リリース)以降、意外なことに新譜を3、4月に発売するのは初めてとなる。満を持してのリリースだが、気負いはない。

 「テーマはタイトル通り、幸せ。ここ1年ぐらい自分にとって幸せが何かということを考えることが多くなってきた。仕事だったり、お金だったり、結婚だったり…。30代になって、どういうことが幸せかなって」。そういう思いが、そのまま詞になった。

 20代までの自身の夢は「音楽で生活できるようになること」だった。

 サラリーマン家庭に生まれた一人っ子。子供のころは1人で絵を描くことが好きで、絵本作家を夢見ていた。ところが高校の学園祭で友達に誘われてバンドを結成。初めて人前で歌ったTHE Timersの「デイドリームビリーバー」が人生を変えた。

 「今思えば下手な歌だったけど、友達に『結構よかったよ』って言ってもらえた。それまで勉強でもかけっこでも、なんの取りえもなかったんで、すごくうれしかった」。家族は反対したが、大志を抱いて19歳で上京した。

 デビューは26歳とやや遅かったが、4枚目のシングルだった「桜」が、ラジオや有線などから始まり、息の長いヒット。29歳で有名シンガーの仲間入りを果たした。

 ところが、満たされなかった。「やっと音楽で生活できるようになった。売れるまでの10年間はそれを待ち望んでいてうれしかった半面、言葉は悪いけど『あれ、こんなもんかな』って。次の楽曲への周囲の期待感とか、自分の焦りとかがあって手放しに喜べなかった」

 心の揺れは、曲にも表れた。「桜」の後、8枚のシングルを出したが、「桜」を上回るヒット曲は出ず。「若い人に聴いてもらいたい、という気持ちが急にわいてきて無理してそっちにいっていた。若い人でどうなのかなって、いろいろ調べてみたり…」。スタンスにも迷いがあった。

 そんな自分と向き合ううちに、ふと気づいた。昔、自分が嫌いだった“大人”になりつつある自分に。「高校のころ、嫌いだった先生と同じ年ごろになっていた。10代の子を見て『なんでコンビニの前で座っているんだろう』って思ってしまったり」

 「昔はもっと、キラキラしたものを追いかけていた。そういうものをなくさないためにどうしたらいいんだろう」。そういう気持ちを共有できるのは、若い子ではなく、大人になりきってしまった人々でもなく、同世代しかいない。

 「団塊ジュニアって人数が多いじゃないですか。その割に世代を代表する歌がないんですよね。ちょっと上だと小田(和正)さんとか、ちょっと下だと宇多田(ヒカル)。もっと若い人の間だとレミオロメンとか。だから、団塊ジュニアのミュージシャンになれればなと、セコい野望を抱いてます。若い人は減っているから、そっち向いてもCD売れねえかなって(笑)」。自分に課せられた役割がおぼろげながら見えてきた。

 「どうやったら、つまらない大人にならなくてすむのか。常にチャレンジすることかな。あとは遊び心のある人。でも難しいですね。みつからないかもしれません」。答えを模索することを楽しむ余裕さえ感じられる。

 等身大の「幸せ」を探す「幸福の歌」は、まぎれもなく同世代に向け発せられたメッセージ。その詞が同世代の胸を打ったとき、「桜」を、20代の自分を乗り越えることができる。 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070401-00000004-sanspo-ent