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2007年03月29日(木) 00時00分

捜査怠慢、認定が後退/リンチ殺人控訴審朝日新聞

 「捜査怠慢はあったが、殺害阻止の可能性は3割」「両親が命への危険の切迫を認識し、助けを求めたとはいえない」——。上三川町の会社員須藤正和さん(当時19)がリンチの末殺害された事件を巡る国家賠償訴訟で、28日の東京高裁判決は、捜査怠慢と死亡との因果関係を明確に認めた一審・宇都宮地裁判決から大幅に後退した。父は憤りをあらわにし、上告を表明。「死を無駄にはしない」と、亡き愛息に改めて誓った。

 東京・霞が関の司法記者クラブ。判決後に会見した父・光男さん(56)は厳しい表情で一言一言、はっきりと訴えた。

 「県警に配慮したのではないか。納得できるものではない」。涙があふれんばかりだった。

 高裁が捜査怠慢を認めたのは、地裁判決が認定した日付よりも24日も遅かった。しかも、その時点で捜査を始めても殺害を防ぎ得た可能性は3割とした。

 「根拠が示されていない」「判決理由という表題なのに、理由になっていない」。両親側からは批判が相次いだ。

 高裁はまた、両親の訴えでは、正和さんが犯罪に巻き込まれ、命が危ないという切迫した認識を県警は持てなかった、と認定した。

 光男さんは語気を強めて言った。「実際は命に危険が及んでいなくても及んでいるように届け出ないと、警察は助けてくれないのか」

 目の前には、正和さんの遺影と腕時計、そして免許証が置かれた。「正和の死を無駄にしないためにも、同じ被害者をつくることのないよう、県警に責任を認めさせる。これは私に授けられた任務だ」と力を込めた。

 幼い頃から手先が器用だったという正和さん。上級生に頼まれてよくプラモデルを作ってあげていた。中学校の職場体験で選んだのは自動車整備工場。ここが夢の原点となった。「車関係の会社に行きたい」。高校3年の2学期、卒業後の進路を心配する両親にきっぱりと言った。

 99年4月、日産自動車に入社。親元を離れ、同社栃木工場(上三川町)と近くの寮とを往復する生活が始まってからも、毎月2回は自宅に戻ってきた。そのたび、仕事や新しい仲間について楽しそうに話した。間違ってハンマーで指を打ってしまったこと、先輩と海水浴に行くこと……。話題は尽きなかった。

 「今度寮の部屋に行ってもいいか」。光男さんが尋ねると、照れくさそうにうなずいた。「いいよ」

 だが、それは最悪の形で実現する。

 11月下旬、勤務先から突然、無断欠勤が続いているとして、退職を突きつけられた。9月末まで欠勤は一度もなかった。「会社に行きたくても行けない状況なんだと思う。もう少し待ってくれないか」。光男さんは食い下がったが、駄目だった。諭旨退職が決まり、今度は寮の部屋を引き払うように言われた。

 部屋は散らかっていた。布団も敷きっぱなし。作りかけのプラモデルだけが大事そうにテレビの上に置かれていた。同工場で生産されている人気車種「スカイライン」だった。

 行方不明になる直前の9月中旬、帰省していた正和さんを光男さんが車で寮に送り届ける途中、プラモデル店に寄ってくれるよう頼まれた。数分後、店から出てきた正和さんは包みを一つ、うれしそうに胸に抱いていた。「何を買ったんだ」。尋ねても、正和さんははにかむだけだった。

 車が、仕事が大好きだった正和さん。だが、その笑顔が光男さんの元に戻ることは、もうない。

http://mytown.asahi.com/tochigi/news.php?k_id=09000000703290006