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2007年03月29日(木) 00時00分

改革難民(6)/若年認知症朝日新聞

  ◆支えなく家族“孤立”

   ◎「選べる福祉」少ない恩恵

 服を前後逆に着ようとしたのが、始まりだった。

 病院を訪れた大塚政晨(まさあき)さんは、「若年認知症」と診断された。今から10年前のことだ。当時55歳。薬品会社に勤め、一家4人の大黒柱だった。

 「治る病気じゃないよ」「5、6年で人格がなくなるらしい」。告知の直後、政晨さんは奈良市の自宅で妻の幸子さん(58)にこう告げた。

 若年性は進行が速い。道に迷い始め、60歳ごろから排泄(はいせつ)が不自由に。妻子の名前を忘れるなど記憶力も衰えていった。

 「もう私が妻だということは認識できません。『親しい人』という程度では」。ほぼ寝たきり状態の夫を前に、幸子さんは語る。毎日、特別養護老人ホームに通い、食事など身の回りの世話をする。

 夫がホームに入所したのは04年夏。幸子さんが自宅で介護を続けるのが難しくなったためだ。介護疲れから体調を崩し、血圧が250を超えたこともある。友人から「自分のことも考えなさい」と心配された。

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 「自分のことが分からなくなるって本当ですか」。幸子さんが代表を務める若年認知症家族会「朱雀の会」(奈良市)には、患者の家族とみられる匿名の人から電話が寄せられる。幸子さんが「残念ですが」と答えると、相手は「うそ!……」と言って言葉に詰まる。

 深刻なのは家計を支えていた夫が発症した場合だ。会社から「やめてくれ」と言われるのが大半。医療費や住宅ローンがのしかかる中、妻は介護と子どもの面倒に加え、激減した収入の一部を埋めようと働く。大塚さん宅も住宅ローンの返済で貯蓄が底をついた。

 朱雀の会の会員は約60人。ともに支え合いながら、支援の必要性を行政に働きかけていこうと01年に誕生した。全国初ということで各地から患者やその家族が集まった。

 だが、県に相談を持ちかけると、「県民以外の会員がいる団体になぜ県が」といった内容の返事。それをきっかけに、行政は遠い存在になった。

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 若年性アルツハイマー病を描いた映画「明日の記憶」が昨年公開され、病の存在は知られるようになった一方、「政策が追いついていない」と幸子さんは感じる。

 特定疾患に指定されたアルツハイマー病は、政晨さんのように脳の老化による場合は40歳以上でも介護保険が適用される。しかし、頭部外傷など老化以外の原因や39歳以下への支援はゼロ。昨年4月、若年向けのデイサービスの介護報酬がわずかに加算されたが、認知症ではなく一般としての扱いだ。

 2カ月に1回開かれる会の定例会では、受け皿不足を訴える声が目立つ。「デイサービスに『明日から来て欲しくない』と言われた」などだ。高齢者に比べ、体力のある患者を「扱いにくい」と拒む施設は多い。

 入所は特別養護老人ホームが一般的だが、県内のホームの待機者が4千人近いという実態の中、長期の入所待ちを余儀なくされるケースもある。

 「介護保険制度の安定に向け、制度全般を見直します」。05年1月、施政方針演説に立った小泉首相(当時)は給付抑制の方向を打ち出した。同年10月以降の制度見直しで、利用者の自己負担が増えた。

 家族の負担減や「選べる福祉」が目的だった介護保険制度。高齢者中心の政策のもと、若年認知症の患者が得られる恩恵は少ない。かき消されていく少数派の声をどう伝えていくか、幸子さんは悩み続ける。=おわり
 (高橋昌宏)

http://mytown.asahi.com/nara/news.php?k_id=30000000703290002