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2007年03月28日(水) 00時00分

日本変えたスーダラ節のノリの良さ朝日新聞

 コメディアンで俳優の植木等さんが27日午前10時41分、都内の病院で呼吸不全のため死去した。80歳。

 代表曲「スーダラ節」は植木さんと日本を変えた1曲だった。誕生したのは61年。東京五輪を3年後に控え、高度経済成長期のまっただ中だった。当初、植木さんは「ふざけた曲」として歌うのを嫌っていた。そうでなくても、バラエティー番組でみせるすててこ姿のため、娘が学校で笑われていた。住職の父に相談すると、「『分かっちゃいるけど−』は親鸞の教えに通じる」と言われ、迷いを吹っ切った。

 「芸能ビジネスを創った男・渡辺プロとその時代」(野地秩嘉著)によると、植木さんは「思えばあのころが世の中の変わり目だったね。スーダラ節は大ヒットしたが、その年の紅白歌合戦には出られなかった。品がないし、植木等は不謹慎だからだめというのが理由だったと思う」と振り返っている。それまでは歌詞をかみしめ、メロディーにじっくり耳を傾ける曲が主流だった。ところが、ノリの良さが第一の「スーダラ節」のヒットは、当時の日本社会の高揚感をあおり、クレージーも翌年紅白出場を果たした。

 ちなみに「スイスイスーダララッタ」は植木さんが気分よくしたときに口ずさんだフレーズがベースだった。日本を気持ちよくさせるフレーズにもなった。

http://www.asahi.com/culture/news_entertainment/NIK200703280013.html