記事登録
2007年03月26日(月) 05時55分

山間集落、また孤立 能登地震朝日新聞

 能登半島沿岸部を震源とする強い地震が25日、石川県などの北陸地方を襲い、政府や各自治体は対応に追われた。被害が市街地のほか周辺の過疎地にも広がり、被災状況の把握に手間取るケースも出た。山間部が被災した04年の新潟県中越地震など過去の教訓を生かせたのか。

■県職員に一斉メール

 「登庁要請」。石川県環境安全部の荒井三郎次長は、そう題する一斉携帯メールを受け取った時、もう家を飛び出していた。地震直後だった。テレビを見ていて大きな揺れに襲われた。

 県の地域防災計画では、震度5強以上の地震の際は全職員の自主登庁が定められている。95年の阪神大震災をきっかけにつくられた規定だ。

 多くの職員が発生から約1時間半で集まったという。荒井次長は「重ねてきた参集訓練と大差なく集まれた」。

 谷本正憲知事は午前10時半ごろ登庁。同11時8分、陸上自衛隊に派遣要請をした。午後0時半には災害対策本部を設置。NTTと北陸電力からは出席者がなく、「被害状況を聴かなければいけない」と呼ぶよう指示した。双方とも本部に集まることにはなっておらず、「今後考える必要がある」と環境安全部。

 総務省消防庁によると、「緊急消防援助隊」として隣接の富山、福井など7都府県から87隊、348人が石川県へ。

 滋賀県は午前10時23分、同庁から派遣可能人数などの問い合わせがあり、22分後に正式な指令を受けた。すぐに8消防本部に出動を指示し、124人を派遣した。県地震対策室は「消防庁や各消防本部との連携はスムーズだった」と話す。

 一方、政府は同9時45分、首相官邸内に野田健内閣危機管理監をトップとする官邸対策室を設置した。安倍首相は「被害状況と住民の安全確保に万全を期するように」と指示。溝手防災担当相を団長とする政府調査団を派遣し、輪島市役所に現地対策連絡室を設けた。

 中越地震で「全村避難」を迫られた新潟県・旧山古志村の村長(当時)だった長島忠美衆院議員は「当時は現地で対策本部を探しあぐねて到着が遅れた国や県の職員もいた」と振り返り、「国と県、自衛隊合同の現地本部をいち早く発足させ、ボランティアへの対応など市町村のバックアップを急ぐ必要がある」と指摘した。

■携帯通じず把握遅れる

 今回の地震は、04年10月の新潟県中越地震に続き、被災状況の把握に手間取る中山間の過疎地に被害が集中した。

 多数の死傷者を出した石川県輪島市は、地震発生直後に梶文秋市長を本部長とする災害対策本部を設置。市役所3階の大会議室には市職員らが詰め、市内各地から寄せられる被災情報をまとめる作業に忙殺された。

 輪島市は昨年2月、旧門前町と合併したばかり。山間の集落が多い旧門前町の情報は携帯電話がなかなか通じず、大まかな状況が把握できたのは正午前ごろだったという。

 梶市長は「通信事情が予想以上に悪かった。衛星携帯電話などの配備も進めてきたが足りなかった。津波や地震に周到な心構えをしてきたつもりだが、いざ大地震があるとショックだ」と話した。

 山間地の被害が大きかった中越地震を経験した自治体関係者らは、初動の大切さを指摘する。

 新潟県長岡市の森民夫市長は発生当初、孤立した集落の情報を収集するため、幹部職員に衛星携帯電話を持たせて現場に向かわせた。「1人でもいいから、一刻も早く各集落に派遣すべきだ。支援に来た職員を見れば、住民も安心する」

 中越地震で孤立した新潟県小千谷市塩谷集落の会社員星野哲雄さんは、被災直後2時間かけて市街地まで歩き、消防本部に情報を伝えた。「まずは役場、次に消防署に向かった。途中で出会った消防団員にも情報を伝えてもらった」

 「日本全体が地震の活動期に入っており、どの自治体も大きな地震が近くで起こることを想定しておくべきだ」。河田恵昭(よしあき)・京大防災研究所長はそう指摘する。「最近合併した自治体では、防災態勢の議論が始まったばかりの所も多い。過疎地の防災をどうするかも今後の課題だ」

http://www.asahi.com/national/update/0326/TKY200703260001.html