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2007年03月26日(月) 00時00分

大きな揺れ「逃げた」朝日新聞

 =重い機械吹っ飛んだ=
 【被災者、余震に不安】

 震度6強の大地震が能登地方を襲った。経験したことのない突き上げるような揺れ。各地で家屋の倒壊が相次ぎ、輪島市では52歳の女性が死亡したほか、県内では少なくとも150人以上のけが人が出た。道路では至るところで路面の陥没やがけ崩れが発生、孤立した集落も出た。余震が続く中、被災者は眠れぬ夜を迎えた。

県消防防災課によると、25日午後7時現在、県内では石灯籠(とうろう)の下敷きになって輪島市の52歳の女性1人が死亡し、151人が重軽傷を負った。最も被害の大きかった輪島市では重傷が8人、軽傷が49人。37戸が全壊し、黒島公民館などに1844人が避難した。

 同市河井町の輪島塗の塗り師、大谷隆重さん(69)=中央通り3丁目町内会長=は、発生当時、家の中で塗りの仕事を始めようとするところだった。「体が持ち上がって、大きく揺れ、動けないくらい恐ろしかった。すぐに家を飛び出して逃げたけど、こんな体験は初めて」と話した。

 同町のケーキ店経営の伊藤敬蔵さん(70)は、地震の直前、家の外で犬の散歩をしていた。犬が動かなくなったので、空を見上げたら、ジェット機が飛ぶようなゴーッという音がし、直後に立っていられないような大きな揺れに襲われた。「犬を引きずって、すぐに家に帰ったら、中はめちゃくちゃで、2人がかりでしか動かせない重いあんこを作る機械が吹っ飛んでいた。幸い、家の中にいた妻と長男もけがもなく無事で、良かった」と話した。

 輪島市門前町広岡の製管会社員、天井(あまい)現三さん(54)は、揺れで目が覚め、1メートルほどのタンスが自分の布団の上に落ちてくるのが見えた。幸いけがはなかったが、「初めてのことで、どきっとした。会社がどうなっているか分からないが、とりあえず、寝るところもないし、家の中を何とかしないと」と話した。

 市立輪島病院には、地震発生直後から多くの患者が来院した。軽傷の患者はロビーで診察するようにして対応した。小竹優範医師(33)によると、患者はやけどや骨折、切り傷が多く、やかんのお湯がかかったり、転倒したりして負傷したという。一帯は地震直後一時停電となったが、自家発電で対応した。

 東京都武蔵野市から来た近藤美恵子さん(57)は能登への旅行中、輪島市の漆芸美術館で地震に襲われ、柱に衝突し、額を打った。「まさか自分が、と思いました」

 避難者は輪島市の22カ所はじめ計32カ所、2102人に達し、多くの人が不安に震えた。

 輪島市河井町の市ふれあい健康センターには157人が避難した。近くの女性(70)は、「家の窓ガラスが壊れ、冷たい風が吹き込んで寒いし、余震があって怖いので、一晩泊めてもらうことにしました」と話した。

 瓦屋を営む木戸孝允(こういん)さん(73)は「家は無事だったが、夕方の震度5の大きな余震で、孫が怖がったので、避難所に来ました。瓦を直してほしいという電話がひっきりなしにかかってくるが、余震が収まってから、持っている材料で対応したい」と話した。

 輪島市門前町広岡の新谷優美絵さん(24)も市門前会館に避難した。地震発生当時、自宅で長男と次男と遊んでいた。突然の揺れにパニック状態になり、2人の子どもを抱きしめた。「家の中は壁にひびが入ったり、戸棚が倒れたり。余震が怖くて家にも入れない。今でもこんな地震が起きたなんて信じられない」と、ぼうぜんとした様子で話した。

 =巨大灯籠も耐えきれず=

 七尾市阿良町の呉服店経営、若林徹さん(63)方の中庭に置かれていた巨大な石灯籠(どうろう)も、揺れに耐えきれず、倒れてしまった。若林さんは「祖父母から『絶対に倒れることはない』と言い聞かされ、そう信じてきたのだが」とショックを受けた様子だった。

 若林さんによると、灯籠は明治期に金沢の石工が作り、1950年まで県知事公舎に置かれていた作品だという。灯籠は倒れた際、庭石にぶつかって、彫刻の一部も欠けてしまった。

http://mytown.asahi.com/ishikawa/news.php?k_id=18000000703260004