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2007年03月24日(土) 00時00分

62年後の卒業証書朝日新聞

 待ちわびた卒業証書が、62年たって我が手に届いた——。終戦の年に旧制桐生高等工業学校(現・群馬大工学部)を卒業した韓国の技術者、馬景錫(マ・チョン・ソク)さん(85)が23日、群馬大の鈴木守学長から念願の卒業証書を受け取った。卒業直前に朝鮮へ戻り、証書授与を逃した馬さんは「うれしくて悲しい」と複雑な気持ちも込めながら、目を潤ませて証書を見つめた。 (熊井洋美)

 馬さんは朝鮮半島東北部(現・北朝鮮)生まれ。日本の占領下で創氏改名を強要され、地元の中学を卒業するとき非難を受けたという。担任の勧めで「朝鮮人の先輩がおらず、差別が少ない」とされた桐生高工に進学した。そこで生涯の師と仰ぐ西田博太郎校長と平田文夫・応用化学科長と出会った。

 西田校長は、「自分は兵役義務がなく、教練の必要がない」という馬さんの訴えを聞き入れ、勉強の時間を確保してくれた。平田科長は、朝鮮人を理由に就職差別を受けた事情を察し、研究に打ち込む環境を作ってくれたという。「人間愛を知った」と語る馬さんにとって、桐生市は「第二の故郷」ともなった。

 しかし、卒業3カ月前の45年6月。日本の敗戦を感じ、関東大震災後の混乱に乗じて朝鮮人虐殺があったことを知った馬さんは「自分もきっと殺される」と感じ、大学に「母が危篤だ」と理由をつけて朝鮮に引き揚げる。9月の卒業式2日前、馬さんへの卒業証書授与は保留とされた。

 帰国後、馬さんは大学で化学工学を学び、石油化学技術者の道を歩む。ソーダ灰工場や石油化学団地の建設など数々のプロジェクトに参画、朴正熙大統領に評価され国民勲章も受けた。

 こうした功績から、05年、工学部は創立90周年にあたり、特別表彰(11人)の1人に馬さんの名を挙げた。その際、馬さんは「卒業証書をもらっていない」と改めて訴えた。大学は、資料から卒業要件を満たしているのを確認、今年1月、工学部教授会で卒業保留を解除した。

 証書は、当時の様式を再現し、尊敬する西田校長の名前が記された。証書を手にした喜びと、長い年月を要したいらだちも少し混じり、複雑な心境とも語った馬さん。鈴木学長は、馬さんを祝福するとともに、学位記を授与された今年度の卒業生たちに「学位記授与の重みを知り、これからの人生を展開して頂きたい」と呼びかけた。

http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000000703240001