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2007年03月24日(土) 00時00分

ポスター張り 初日に差朝日新聞

 立候補した14人から「東京の顔」を選ぶ知事選。候補者の「顔」を知らせるポスターはどれぐらい張られているのだろうか。都内のポスター掲示場は1万3979カ所。そこから10カ所を選び、「張り出し具合」を調べてみると——。

 知事選が告示された22日夕と翌23日昼すぎに確認した。

 場所は、墨田区の都慰霊堂前▽江東区の豊洲駅近く▽霞が関の官庁街▽練馬区役所前▽渋谷駅近く▽世田谷区役所前▽武蔵野市中心部▽立川駅北口▽町田市の住宅街▽青梅市の宮ノ平駅前。

 結果は、現職の石原慎太郎候補、前宮城県知事の浅野史郎候補、元足立区長の吉田万三候補の3人とそれ以外の候補とで、大きな差が出た。

 浅野氏と吉田氏は22日のうちに10カ所すべてで張られ、石原氏も青梅市宮ノ平駅前を除く9カ所で張ってあった。渋谷駅近くには、発明家ドクター・中松候補のポスターもあった。

 23日になると、墨田区の都慰霊堂前に建築家の黒川紀章候補、霞が関の官庁街でストリートミュージシャンの外山恒一候補のポスターが新たに張られていた。石原氏も10カ所でそろった。

 石原陣営では「長年の政治活動で培った人脈があり、そういう人々の力で張った」。関係者によると、一部で政党以外の団体の協力もあったという。

 浅野陣営は「勝手連のボランティアにお願いしている」というが、支援する民主党のある市議は「市域の半分はうちの議員、残りは別の党の人が張った」と話した。

 共産党推薦で、同党と協力する団体の組織力を持つ吉田陣営では「22日に第一声をみんなで聞いてから、一気に張り終えた」。

 黒川氏は22日夕、自分のポスターが少ないことに危機感を抱き、深夜から秘書らと車5台に分乗、徹夜で各地を張って回った。複数のバイク便業者にも依頼したという。ドクター・中松氏は「私は超透明な候補。お金や組織は使わず、都民が張ってくれている」と説明した。

 都選挙管理委員会は区市町村選管に対し、掲示場に12人分の枠を確保するよう要請していたが、候補者増が予想され、12日になって18人分に変更した。各選管は、すぐ後に続く首長選や議員選での掲示場の「再利用」をにらみつつ、対応に追われた。

 杉並区選管は、余裕をとって24人分まで枠を作ることにし、支柱を増やして倍の大きさまで板を継ぎ足した。もとの12人枠の掲示場は、15日告示の区長選でも使われる。区長選の板の上に知事選の枠を書いた台紙を張り付けており、それをはがすと、下から区長選の枠が出てくる仕組みだ。

 市議選を控える武蔵野市も「二重張り」方式。市議選用に39番まで振られた板の半分が今は白紙で覆われ、「東京の未来は私が決める。」という標語が書かれている。

 知事選に立候補したのは14人。石原知事が初当選した99年が19人で最も多く、75年と91年には16人が立候補した。

http://mytown.asahi.com/tokyo/news.php?k_id=13000000703260002