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2007年03月23日(金) 00時00分

トラブル次々 憤る地元朝日新聞

 次から次に明らかになる原発のトラブル。22日には、東京電力の福島第一原発3号機(大熊町)で78年、原子炉の制御棒5本が脱落し、核反応が連続する臨界状態に達していた可能性が高かったことが分かった。東電は「可能な限りうみを出したい」というが、地元は不安と不信感を募らせている。

 —当時報告義務なく/知事「情報共有が必要」

 「臨界となっていた可能性が高い」

 この日午後6時から県庁で開かれた記者会見で、東電原子力・立地本部福島事務所の内田俊夫課長は、神妙な口ぶりで説明した。

 制御棒の脱落は、3号機が定期検査中だった78年11月2日に起きた。原子炉格納容器の検査で制御棒駆動装置を固定する際、作業員が水圧を逃がすための弁を開く操作を忘れたため、制御棒を引き下げる方向に水圧が働き、可動範囲3.6メートルの制御棒5本が30センチ〜90センチほど脱落したという。

 再び制御棒を全挿入するまで原子炉内の中性子量が上昇していた。一般的に5本の制御棒が脱落した場合、臨界が起こる可能性があるという。

 ただ、正確な中性子の量や燃料の量、継続時間などを示す資料を精査し切れていないため、確定できないと説明する。

 3号機のほかにも、第一原発では79年2月に5号機(双葉町)、80年9月に2号機(大熊町)で制御棒1本がそれぞれ約1.5〜2メートルほど抜け落ちた。いずれも定期検査中だったが、中性子量の上昇を示すデータがなく、臨界の可能性はないとしている。

 2、3、5号機の原子炉は、東北電力の女川原発(宮城県)、中部電力の浜岡原発(静岡県)で同様のトラブルのあった原子炉と同じ東芝製(2号機は一部GE製)だが、東電は人為的ミスの可能性が高いと説明している。

 今回の制御棒脱落は、東芝のデータ提供を受け、当時の担当者に聞き取り調査して22日までに分かった。東電は「当時は人身災害でなければ国に報告する対象でなかった」と説明する。この時点では社内でも報告体制が確立していなかったといい、20日に発覚した93年の第二原発3号機(富岡町)の制御棒脱落事故を防げなかったこととも無縁ではなさそうだ。

 東電は現在、国や県への報告期限の31日に向けて、他の原発への聞き取り調査を進めているが、今回の問題は東芝のデータ提供がなければ証明できなかった。すべての不祥事が明らかにされるかは、なお不透明だ。

 報告を受けた佐藤雄平知事は「がくぜんとした。言葉がないくらいのショック」と話した。東電が当時報告義務がなかったとしていることについては「情報の共有が本当に必要。そういう問題ではない」と指摘した。

 双葉町議会の原子力発電・地域活性化に関する特別委員会の丸添富二委員長(72)は「あきれてものが言えない。トラブル隠し、データ改ざんと調べれば事実を明らかにできるチャンスは何回もあった」と憤りを隠さなかった。

http://mytown.asahi.com/fukushima/news.php?k_id=07000000703230004