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2007年03月22日(木) 00時00分

なぜ無視?『内部被曝』  被爆物理学者に聞く『放射能の実相』 東京新聞

 口や鼻から体内に入った放射性物質が人体にダメージを与える「内部被曝(ひばく)」。二十二日に東京地裁で判決が言い渡される「原爆症認定集団訴訟」の最大の争点だ。厚生労働省は影響を否定し続けるが、被爆者が訴える実態とは大きく食い違っている。きのこ雲の下で何が起こっていたのか。広島で被爆した名古屋大名誉教授の沢田昭二さん(75)=理論物理学=に、「内部被曝の実相」を語ってもらった。 (橋本誠)

■東京地裁できょう判決

 「一番問題なのは、残留放射能による内部被曝の影響を無視していることだ」

 厚労省の原爆症認定基準が抱える問題点を、沢田さんはこう指摘する。

 原点は自身の体験。十三歳のとき、広島市の爆心地から一・四キロの自宅で被爆した。つぶれた家からはい出したが、母親が下敷きに。梁(はり)や柱を抜こうと何時間も試みたが、火災が迫り、「早く逃げなさい」と言う母親を置き去りにせざるを得なかった。「はらわたがちぎれる思い」がしたという。

 原爆は、さく裂の瞬間、大量のガンマ線や中性子線を放出し、超高温・超高圧の火球を形成。爆発から一分以内に放出されたガンマ線と中性子線が「初期放射線」で、人体の外からダメージを与える「外部被曝」を引き起こした。

 しかし、被爆者の間では、初期放射線がほとんど到達しない二キロ以遠にいた「遠距離被爆者」や、爆発後に救援などで市内に入った「入市被爆者」に、脱毛、紫斑、嘔吐(おうと)、下痢などの急性症状が生じたことが知られていた。初期放射線しか考えない国の認定基準では説明できず、問題を解く鍵として注目されてきたのが残留放射線による「内部被曝」だ。

■放射性微粒子 呼吸で体内に

 沢田さんが考える「内部被曝」のメカニズムは次のようになる。

 原爆の火球が上昇して冷えると、核分裂生成物や放射能を帯びた原爆機材、分裂しなかったウランやプルトニウムの微粒子を中心に水滴ができ、「きのこ雲」をつくる。「爆発の三十分−一時間後、『黒い雨』や『黒いすす』、放射性微粒子といった『放射性降下物』が地上に降り始めた。上昇気流が強かった爆心地付近より、やや離れた地域に多く降下した」と沢田さんは分析する。

 放射性微粒子のうち、目に見えないほど小さいものは呼吸で吸い込まれた。「五マイクロメートル以下のものは肺に達し、一マイクロメートル以下では肺胞の壁を通って血管に入り、全身に運ばれた」。こうして組織や器官に沈着した放射性微粒子が隣接細胞に放射線を集中して浴びせる内部被曝が生じた。「放射能を帯びた食べ物を飲み食いしたり、手に付いた『黒い雨』が口に入ったりした場合も起きた。放射性微粒子は『黒い雨』より広い範囲に降り、深刻な影響を与えた」と推定する。

 内部被曝は、現在では原子力発電所の事故でも問題になっている。訴訟で争われているのは、原爆で人体に影響が出るほどの被曝があったかどうか。「原告はほとんど被曝しておらず、残留放射線による内部被曝を考慮する必要はない」というのが国側の姿勢だ。

 実際に、放射性降下物が及ぼした影響はどれほどあったのか。

 戦後、放射線量の調査が行われたのは、地上の放射性微粒子が風雨で取り除かれた後だった。物理的な測定ができないため、沢田さんは脱毛や下痢といった実際に被爆者の間に生じた急性症状の発症率から推定した。

 広島原爆の場合、一九四五年の日米合同調査と、五七年の於保(おほ)源作医師(故人)のデータを活用。爆心地からの距離と発症の関係を示すグラフと、発症率による被曝線量のグラフを照合した。導き出した被曝線量から初期放射線の分を引き、放射性降下物による被曝線量を割り出した。

 その結果、初期放射線が爆心地から離れるに従って急速に弱まるのに対し、放射性降下物の放射線量は爆心地から二キロ付近をピークとする山形のカーブを描いた。「一・五キロ以遠では、放射性降下物が初期放射線を上回る影響を及ぼしている。残留放射線では、外部被曝より内部被曝が大きな影響を与えることを示している」

 さらに、内部被曝では、初期放射線のガンマ線より透過力の弱いアルファ線やベータ線が深刻な影響を与える。アルファ線の体内での飛距離は約四十マイクロメートルでベータ線も数ミリ以下。体の外からの「外部被曝」ではあまり影響しないが、体内では放射性微粒子に隣接する細胞に継続的に放射線を浴びせる。

■関連否定する法廷での国側

 「微量の放射線でも、放射線で切断された場所を修復中の細胞に当たれば、異常が起きやすくなる。それに、臓器は自然界からとっている物質に近い放射性物質を間違えて取り込みやすい。ヨウ素は甲状腺で、ストロンチウムは骨髄で濃縮される」と沢田さんは指摘する。

 国側は法廷で、長崎・西山地域の住民が発する放射線を測った内部被曝調査の結果を挙げ、「自然放射線より格段に小さい。(長崎の)浦上川の水を大量に飲んでも影響は低く、原告の下痢や発熱は赤痢などの感染症によるもの」と主張する。沢田さんは「西山地域の調査はガンマ線を測るカウンターを使っており、アルファ線などは測っていない。救援活動で広島に入った兵隊が池の水を煮沸して飲んだのに、次々に下痢を起こしたという証言もある」と反論する。

 内部被曝の危険は、現代人にも無縁ではない。これまで行われた核実験や原発事故で地球規模の放射能汚染が進んでいるからだ。一九四五年から八九年までに被曝によるがんで死亡した人は国際放射線防護委員会の基準では百十七万人と推定されているが、沢田さんは「内部被曝の影響を見直すと世界人口1%の六千万人は死んでいる。被爆者だけでなく全人類の問題だ」と警鐘を鳴らす。

 人類最初の核兵器が人体に及ぼした影響は、科学的には今も「論争」の状態にある。被爆後数十年たって、がんなどの「晩発性障害」が発生しているメカニズムもまだ十分分かっていない。細胞に放射線を浴びせると、隣の細胞もダメージを受ける「バイスタンダー効果」など最近になって初めて明らかになってきた現象もある。

■科学的に解明「時間はない」

 科学の限界に直面したとき、科学者はどうすべきか。沢田さんは、広島の平和記念資料館を見学し「自分たちは原爆被害を雲の上からしか見ていなかった」と語った海外の科学者の例を挙げ、こう訴える。

 「被爆者に起こっている事実から出発して考えることが大事で、機械的な基準を当てはめてはならない。内部被曝などが科学的に明らかになるまで待っていては、被爆者が生きている間に間に合わない。被爆で影響を受けた可能性があれば原爆症と認めるよう、認定制度をあらためるべきだ」

<メモ>原爆症認定制度 広島、長崎で被爆し、がんなどの病気にかかったと厚生労働大臣から認定された人は、月額約14万円の医療特別手当が支給される。約26万人の被爆者のうち、認定されているのは0・9%程度。認定申請を却下された被爆者229人が係争中。大阪、広島、仙台地裁で原告全員が勝訴した。国の認定基準を批判する判決が続いており、自民、民主など各党は国会議員有志の懇談会をつくり、政治決着の道を探っている。

<デスクメモ>広島、長崎の原爆をB29が積み込んだテニアン島は、さびれた飛行場があり、そこが搭載地であることを示す小さなプレートが残されている。核武装発言に、相次いで明るみにでる原発不祥事。日本人は世界で最も放射能に敏感な国民ではなかったか。役人も政治家も普通の人々も、一度はここを訪れてほしい。 (蒲)


http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20070322/mng_____tokuho__000.shtml