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2007年02月22日(木) 00時00分

放送行政 口出しが過ぎる総務省 東京新聞

 大臣が新たな強権を要求すれば、役人は番組の作り方を指南する−関西テレビの番組捏造(ねつぞう)問題を機に、放送に対する行政介入が目立つ。視聴者の怒りに乗じた、公権力の過度な口出しは危うい。

 菅義偉総務相は関西テレビに対して、捏造に関し経営責任にまで踏み込む報告を要求した。

 総務省情報通信政策局は、主要民放、NHKの番組チェック体制を調査し「取材やVTR編集に局プロデューサーが立ち会う」「専門家の参画を進める」などと具体的な再発防止策を提言した。

 総務相らは自らを「放送監督官」と勘違いしていないか。そうだとすれば戦前の意識だ。番組作りは各局独自の創意工夫が基本である。

 おまけに同相は、放送局に対する業務改善命令や課徴金などを新設して、監督を強化すると言い出した。「事実と異なる報道に表現の自由はない」というのである。

 報道の何が事実と異なるか、一義的には明らかでないことが多い。行政による介入は極めて危険だ。この点は再発防止計画を命ずる同省の新方針も同じだ。

 放送法制では番組が政治的に公平であることや事実を曲げないことを求めている。放送免許取り消し、電波停止などの処分もある。処分発動の前例がないのは、表現・報道の自由を侵しかねないからである。

 そのかわり同省は行政指導としてしばしば放送内容に口を出す。昨年八月、旧関東軍の七三一部隊に関する番組で、関係ない安倍晋三現首相の写真が一瞬写ったことに対するTBSへの厳重注意が記憶に新しい。

 とりわけ菅総務相は権力的行政に熱心だ。NHKへの放送命令、受信料の義務化と引き下げ要求、関西テレビへの高圧的態度…その揚げ句が行政処分構想である。

 私たちは、戦後の一時期と同じように、放送行政を政府から独立した委員会に移すことを求めてきた。いまこそ真剣に検討すべきだ。

 自由な言論・表現に過ちはつきものだが、公権力がむやみに介入すると委縮する。国民の監視、批判と表現する側の自浄力による改善が健全な民主社会を維持する基盤だ。

 それにしても肝心の放送関係者から危機感が伝わってこない。次々発覚する不祥事に業界全体で対応しようとする意欲も見えない。

 民放業界は電波割り当てという既得権に安住し、自ら足元を崩して公権力につけいるすきを与えている。これでは視聴者に見放されるだろう。放送の自由は内からも脅かされていることを自覚すべきだ。


http://www.tokyo-np.co.jp/00/sha/20070222/col_____sha_____003.shtml