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2006年12月27日(水) 00時00分

後絶たぬ申請 無力感さえ 水俣病50年 東京新聞

 男性は、話しながらいつの間にか目に涙を浮かべていた。「まだまだ、苦しんでいた人がこれほどいたとは。何も分かってはいなかった。今まで私は何をやってきたんだろうと…」。水俣病の患者を支えてきた実川悠太さん(51)。水俣病の展覧会などを行うNPO法人「水俣フォーラム」事務局長も務める。

 水俣病は今年、公式確認から五十年目を迎えた。しかし、認定申請の患者はいまだに増え続けている。患者の救済は終わらず、水俣病が社会に突きつけた教訓も十分には生かされていない。

 実川さんと水俣病とのかかわりは高校生の時だった。当時、東京・丸の内にあった原因企業、チッソ本社前に座り込んでいた患者たちと出会った。訴訟で患者の事務局を務めたこともあった。

 今は自らを「支援者とは考えていない」と話す。「患者の話を聞くと、自分と切り離された問題とは受け取れない。自分や現代社会を見つめ直す本質的な力がある。伝え、多くの人と一緒に考えたいと思っている」

 チッソは当時、ビニールなどの製造に不可欠なアセトアルデヒドの国内生産の大半を担っていた。発生後すぐ排水を止めていれば、被害は最小限にできた。しかし、国や経済界、一部の学者はチッソの生産活動を守るため適切な対応をとらず、被害者が拡大した。

 公式確認から半世紀。現在まで長引いているのは、患者の認定問題だ。補償対象の国の基準は限定的で、認定は新潟水俣病を含めてこれまでに約三千人。多くの患者が救済されなかった。

 一九九五年に「政治解決」で和解が成立。約一万一千人が一時金支払いを受けたが、二〇〇四年、国基準より幅広く患者を認める最高裁判決が出ると、新たに認定を求める人たちが増えた。わずか二年で約四千八百人が審査待ちという事態になっている。

 政治解決で一段落と考えていた実川さんには、申請が後を絶たない状況はショックだった。「ある程度、分かったつもりになっていたのが恥ずかしい」。薬害エイズ、アスベスト、トンネルじん肺…。行政がしっかり対応していれば被害拡大を防ぐことができた問題は後を絶たない。

 実川さんは言う。「こうした問題を聞くたびに、水俣の人々は『自分たちの犠牲は何だったのか』と存在を否定された気持ちになっている。国は未認定患者をすべて救済した上で、悲惨な被害を繰り返さないために教訓を生かす取り組みに力を入れてほしい」と。

  (金杉貴雄)


http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20061227/eve_____sya_____002.shtml