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2006年12月22日(金) 21時40分

“カンニングの竹山”としてコンビ名守る朝日新聞

 お笑いコンビ、カンニング竹山隆範(35)が21日、都内の所属事務所で会見し、白血病ウイルス性肺炎のため20日に死去した相方の中島忠幸さん(享年35)をしのんだ。泣き疲れ、憔悴(しょうすい)した表情の竹山は「残念な気持ちでいっぱい」と感情を抑えて語った。来春の復帰計画を立てていた矢先の11月末に白血病が再発。「もう1度、漫才を」の祈りは通じなかった。今後も「カンニングの竹山」としてコンビ名を守り続ける。

 「もう1度、漫才するぞ−」。竹山の願いはかなわなかった。「正直、つらい状態が続いていて覚悟はしていました。昨日(20日)は(交際中の)彼女としこたま泣きました。あいつのおかげで世に出て、芸能界でやっていけるようになった。仕事を続けていくことがあいつへの供養だと思う」。会見中は懸命に涙をこらえた。

 中島さんは04年12月、急性リンパ球性白血病で入院した。今年3月と6月に2回、臍帯血(さいたいけつ)移植手術を受けた。8月には寛解(かんかい=白血病細胞を消滅させること)し退院。体重は53キロから47キロまで落ちたが、中島さんは所属事務所を訪れ「髪も生えてきました」と元気な姿を見せていた。会見に同席した相沢正久社長(57)は「竹山は漫才がやりたくて我慢できない状態だった。復帰は、漫才ライブでと話していた」と振り返る。

 だが、11月27日に白血病が再発し再入院。12月8日に外泊許可を得て自宅に帰り、9日に病院に戻ったが、10日朝に肺炎を併発した。竹山は毎日病院を訪れ、人工呼吸器を付けて話せない相方を励まし続けた。

 亡くなった20日朝、竹山は中島さんに「頑張れよ。また漫才するぞ」と声を掛け、テレビの収録現場に向かった。その2時間後に、マネジャーから悲しい知らせが届いた。中島さんは妻の真奈美さん、母親、姉ら親族に見守られ息を引き取ったという。

 来年には再び臍帯血移植手術を予定していたが、間に合わなかった。竹山は「最後の闘病をずっと見ていて、安らかに眠っている相方を見て、かわいそうと同時に楽になって良かったかなとも思いました」。

 闘病中も「カンニングは二人三脚」と、竹山はギャラを折半した。実際、中島さんが病床でネタを考え竹山に提供したこともあったという。関係者によると、高額な治療費は所属事務所が負担していたという。

 1人での活動でも「カンニングの竹山です」と言い続けた。竹山は「2人のカンニングとして最後にやれることは葬儀なのかな。中島には芸人としてしっかり送り出してやるから安心しろと言いたい。これからもカンニングの竹山としてやっていきます」とコンビ名を守ることを明言した。

 葬儀では後輩の芸人を集め華やかに送ることを考えている。葬儀委員長を務める相沢社長は「弔辞は竹山に読んでもらいます。彼しかいないでしょう」と話した。


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