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2006年12月18日(月) 00時00分

西宮〜芦屋ラーメン街道朝日新聞

 「いらっしゃい」。芦屋市宮塚町の国道2号沿いにある「芦屋らーめん庵(あん)」ののれんをくぐると、頭にバンダナを巻いた久保多美子さん(65)が明るい声で迎えてくれた。全国有数のラーメン激戦区とされるこのかいわいで、草分け的な店の一つだ。
 女手ひとつで1男1女を育てた。「ラーメンは実入りがいい」と聞き、大阪府守口市で営んでいた喫茶店を畳み、いまの場所に店を構えたのが87年。親類の料理店主からスープづくりの基本を教わり、娘と娘婿との3人で1年かけてスープを完成させた。3種類の豚骨と鶏ガラ、野菜などを4時間煮込む。家族で作り上げた自慢のスープだ。
 芦屋に出店した理由は、街並みを気に入ったことと、周辺にラーメン専門店が少なくて商売に有利と考えたため。狙いは当たり、開店直後から客足は順調に伸びた。午前6時に仕込みを始め、11時に開店。翌日午前2時の閉店まで店に立ち続けた。閉店後、疲れて車中で夜を明かしたこともある。
 「先の不安を感じる余裕もないくらい、必死に走り続けた」という久保さんも、今では3人の孫のおばあちゃん。店に遊びに来た孫が、おばあちゃんのラーメンをおいしそうに食べる。「今までやってきてよかった」と思う瞬間だ。
 この間、特に90年代半ばからは大阪と神戸を結ぶ国道2号沿いにラーメン店が続々と出店した。大手チェーンや有名店も進出し、それがメディアで紹介されて客を呼び、激戦区と呼ばれ始めた。現在も西宮〜芦屋間の4キロで、約30店がしのぎを削る。激しい競争に生き残るのは容易なことではない。
 「麺・力一杯」(西宮市産所町)のオーナー、高橋真一さん(32)は、27歳の若さで激戦区に飛び込んだ。高校卒業後、中華料理店などで計10年修業を積んだ。その腕を、当時ラーメンブームに沸いていた国道2号で試したいと思った。当時勤めていたラーメンチェーンの社長は「99%失敗する」と反対したが、最後には折れた。
 社長が高橋さんに贈った言葉は「扉の重さに負けるな」。その言葉の意味を、開店早々、高橋さんは思い知る。客が来ないのだ。月々の家賃や光熱費が重くのしかかり、自信が揺らいだ。「お客さんが自分の意思で店の扉を開けてくれる。この出会いのありがたさを忘れるな、と社長は教えてくれた。この言葉がなかったら、今の私はない」と振り返る。
 豚骨ベースながらあっさりしたスープには自信があった。修業時代に世話になった店のうまみと、支えてくれた人たちの思いが詰まっている。従業員の接客にも気を配った。自分のラーメンを信じて、休みなしで店に立ち続けた。開店から2年を過ぎたころから、気候や材料の状況に合わせて仕込みを調整し、安定した味が出せるようになった。常連客もつき、店は軌道に乗った。扉は開いた。
 「国道2号は夢をかなえてくれる場所。志ある人は、あきらめずにチャレンジしてほしい」。かつての自分のように、生きのいいライバルが出現するのを待っている。(真常法彦)

http://mytown.asahi.com/hyogo/news.php?k_id=29000160612180001