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2006年11月11日(土) 08時01分

はらたいらさんが肝不全で死去、「クイズダービー」の名解答者サンケイスポーツ

 TBS系クイズ番組「クイズダービー」の解答者としてダントツの正解率を誇った漫画家、はらたいら(本名、原平)さんが10日午後零時7分、肝不全のため埼玉県富士見市の病院で亡くなった。63歳だった。平成4年から更年期障害に苦しんだが、8年ほどで全快。最近は“男の更年期”などについて講演活動をしていた。その驚異的な博識ぶりから、“宇宙人”と呼ばれた男が永久の世界に旅立った。

 「本人は不服がない、本望だったと言っていました」。この日午後8時すぎ、東京・小石川にあるはらさんの自宅前で、夫人のちず子さんが涙ながらに、夫の最期の様子を語った。

 ちず子さんら関係者によると、はらさんは9月下旬に都内の病院に検査入院。もともと肝硬変もあったが、末期の肝臓がんと判明した。約1カ月前に現在の病院に転院して回復に努めていたが、2日前に容体が急変。最期は「家族に囲まれて旅立ちました」(ちず子さん)。

 はらさんは、10代のころから漫画誌に投稿を始め、昭和38年に「新宿B・B(ベベ)」でデビュー。時代を風刺し批判精神のきいたナンセンスギャグで注目される一方、その名前を全国区にしたのは「クイズダービー」(昭和51年1月3日〜平成4年12月19日、全862回)だった。

 はらさんは同52年1月から同4年6月まで15年間にわたってレギュラー出演し、番組最高視聴率40.8%(54年6月30日放送)に貢献。同番組を担当した元TBS制作局プロデューサー、副島恒次さん(65)は、はらさんとの出会いをこう振り返った。

 番組1年目の昭和51年。以前からはらさんの漫画に興味があった副島さんは、直接会った際にすぐその2枚目とユーモアにひかれ、出演をオファー。司会の大橋巨泉ははらさんを“和製アランドロン”と呼ぶほどだった。当時、漫画家の地位は低く、翌年から出演したはらさんは「自分の正答率が低ければ漫画家の地位を下げてしまう」と強い決意で番組に臨んでいた。

 あまりの正答率(70%強)にやらせの声もあがったが、「もちろん、やらせではない」(副島さん)。はらさんは負けず嫌いで問題の予習復習を欠かさなかったといい、地道な努力の人でもあった。

 番組が平成4年に終了した後、女性特有のイメージが強い更年期障害に苦しんだ。が、真正面から立ち向かい、8年で全快。闘病中、闘病後を通して、講演や著書などで更年期障害の理解を求める活動を行っていた。

 人なつこい笑顔と物静かな印象が強いが、素顔は大の酒好き。デビューしたてで無収入の時代にも酒を飲み、同郷でもあるちず子さんが働いて酒代を捻出した。売れっ子になってからは、そんな生活にさらに拍車がかかったが、更年期障害をきっかけに、最近は酒量は控えていたという。
(サンケイスポーツ) - 11月11日8時1分更新

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061111-00000034-sanspo-ent