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2006年11月06日(月) 00時00分

風化に住民危機感 『御嵩町長襲撃』10年 東京新聞

 1996年、岐阜県御嵩(みたけ)町の柳川喜郎町長(73)が自宅マンションで暴漢2人に襲われ、瀕死(ひんし)の重傷を負った事件から10年がたった。産廃処分場の建設計画に反対する住民運動の盛り上がりの中で起きた事件だけに衝撃は全国に広がった。しかし、事件は未解決のままだ。この10年で何が変わって何が変わっていないのか。節目の年に住民の手で暴力追放大集会が開かれた御嵩町を訪ねた。 (中里宏)

 九六年十月三十日午後六時すぎ、柳川町長は帰宅したマンション四階のエレベーター前で、待ち伏せしていた二人組の男に棒のようなものでめった打ちにされた。頭、右腕、鎖骨などを折り生死の境をさまよう重傷だった。当時、町長は予定地の一部に国定公園を含み、下流域の水源である木曽川に隣接する処分場計画の手続き凍結を県に要望。事件直前には町長宅から盗聴器が発見されていた。

■「昔のことだ」口閉ざす者も

 十年がたち、近所の人の多くは「分かりませんので」「昔のことなので」と口を閉ざす。ただ、処分場反対運動や暴力追放運動にかかわってきた人たちの記憶と怒りは今も鮮明だ。

 「絶対忘れることのできない日付が二つある。十月三十日の町長襲撃と(翌年の)六月二十二日の住民投票だ」。「御嵩町長殺人未遂事件の早期解決をめざす会」の田中晃事務局長(69)は言う。田中保副会長(69)も「自分たちの町は自分たちで守るしかないということで反対運動に立ち上がった。町長襲撃は『町民が襲われたのと同じ』と皆が思った」と振り返る。

 田中副会長は処分場の是非を問う住民投票条例の直接請求のため、夜は防弾チョッキを身につけ駆け回った。「処分場問題も大切だが、民主主義を守ることはもっと大切という気持ちだった」。九七年六月の住民投票は処分場反対が八割に達した。これを受けて柳川町長は建設手続きに必要な町の同意・不同意を保留。手続きはストップした。

 その田中副会長も「時間が事件を風化させるのを止めることはできない」と語る。二〇〇三年三月、副会長らの神経を逆なでする出来事があった。

 同月発行の「岐阜県史 続現代」から、町長襲撃事件や住民投票など御嵩町の処分場問題がそっくり削除されたのだ。県が発行直前になって執筆者に四十カ所もの修正・削除を要求。執筆者が「余裕がない」として原稿を取り下げたのだった。

■時効は5年後 捜査手詰まり

 田中副会長は「事実ではなく、県の言う通りに書けということ。『お上に盾突くとこうなる』という見せしめにしたかったのだろう」と今も憤る。めざす会は同年十月に発足させた。犯人逮捕に結びつく情報への懸賞金三百万円も準備した。県と町の関係修復に向け、十年ぶりとなる知事と町長の公式会談が実現したのは、梶原拓前知事が引退した後の昨年四月、古田肇知事になってからだ。

 時効が五年後に迫った襲撃事件の捜査は難航している。県警は事件の背後に処分場問題があるとみて捜査。盗聴事件で二つのグループを逮捕したが、襲撃に結びつく証拠が得られず手詰まりになった。

 一方、町は今年五月三十一日付で県史から削除された部分をそっくり含む「御嵩町史 現代」を発刊した。

 前町政が県の度重なる指導で建設反対から容認に方針転換した経緯▽国定公園内への処分場建設を事実上禁じた環境庁(当時)通達の発効を県が二年間も遅らせ、その間に業者が許可申請した事実▽反対派住民への数々の脅迫▽業者側から盗聴犯に渡った四千万円−など、計画をめぐる奇々怪々ともいえる出来事が赤裸々に記述されている。

 行政の職務執行や言論が原因とされる暴力・テロは町長襲撃後も続いている。三日、町内の公民館で開かれた「暴力追放御嵩集会」は町内外から約八百人が集まり、立ち見の出る盛況だった。小泉前首相の靖国神社参拝を批判したことで山形県の実家を右翼団体構成員に放火された元自民党幹事長の加藤紘一氏、元日弁連会長の中坊公平氏が「手弁当」で参加、柳川町長とともに演壇に立った。

■見て見ぬふり「一番の問題」

 三氏ともに言及したのが、個人の受ける暴力が引き起こす底知れぬ恐怖と効果についてだった。

 柳川町長は〇一年十月、栃木県鹿沼市の幹部職員だった小佐々守さんが指導を逆恨みした産廃業者に拉致され殺された事件に関連して、最近小佐々さんの妻から届いた手紙を紹介。「彼女が私と会うたびにいうのは、もう少し市役所の人が夫を孤立させず、業者に毅然(きぜん)とした態度を取ってくれていたら事件は起きなかったということ。人ごとだからという無関心、見て見ぬふりが一番問題だ」と訴えた。

 中坊氏は戦後最大級とされる香川県・豊島の産廃不法投棄事件のきっかけについて「ネクタイを持って振り回すといった小さな暴力に屈した県職員の姿勢が、撤去費用二百億円にもなる県政の誤りにつながった」と指摘。同時に、業者の公判記録を調べることで知った暴力と癒着の実態を公表し、世論を巻き起こすことで不可能と思われた公害調停成立につながったとして、「情報公開は太陽の光と同じ。暴力という菌を殺すには白日のもとにさらすこと。一矢報いたいという皆さんの執念と団結も必要」と呼びかけた。

 加藤氏は北朝鮮問題での政府・自民党の強硬姿勢や、右翼勢力でさえ「自分たちには言えない」と嘆くほど過激なナショナリズムがオピニオン雑誌にあふれる現状に危惧(きぐ)を表明。実家の放火事件について「時の流れ、時の風が真犯人じゃないか」との見解を述べた。テレビで靖国参拝反対の論陣を張った学者が、何者かに「子どもの通学路を知っている」と脅され、出演できなくなったという話も紹介。「日本のナショナリズムが極端な方向に行くと、かなり用心しなければならない。私の仕事は今まで通りの発言を続けることだ」と語った。

■町長襲撃事件「見せしめに」

 大会終了後、取材に応じた柳川町長は襲撃事件について「当時は『計画推進派がやれば疑われるに決まってるんだから、やるはずがない』という言い方を随分された。しかし、僕に言わせれば『産廃について何か言うとまずい』という空気が出たという意味で、ものすごい見せしめ効果があった」と振り返った。

 事件前年、ふつうの主婦らが初めて寺院で処分場問題の勉強会を開いた後、寺に切られたウサギの足が置かれるなど、三度にわたる脅迫があった。「これが処分場問題で僕が責任を背負うことになるきっかけだった。NHK特派員時代、政府批判をやると『御用』になる東南アジアの国を見てきた。言論・集会・結社の自由がなくなると、どういう社会になるのか肌で知っていたからだ」

 言論などに対する脅迫・テロに勝つにはどうしたらいいのか。

 「町民に前面に立ってやれとはとても言えない。言えるのはできることだけでいいから小さな勇気を持ってほしいということ。集会に出て署名するのも小さな勇気だと思う。まとまれば大きな力になる。ただ、一番大事なのは政治家の責任。加藤さんの事件の時、小泉総理らリーダーは、しばらく非難コメントを出さなかった。リーダーが筋を通すのは当たり前。それが駄目になってきたことが怖い」

<デスクメモ> 暴力で最も卑劣なのは、犯人が名乗らず、闇の中に身を潜めているケースだ。そんな事件に、未解決が多いのはなぜだろう。朝日新聞阪神支局襲撃事件、国松孝次警察庁長官銃撃事件など。時効を迎えた事件もあるが、警察は残る事件の解決に威信をかけて臨んでほしい。それが最大の抑止力になるからだ。 (充)


http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20061106/mng_____tokuho__000.shtml