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2006年10月11日(水) 00時00分

ブログ、大きな影響力読売新聞

 世論形成に大きな影響を及ぼしてきた総合雑誌・論壇誌。だが、近年は空洞化が叫ばれて久しい。一方で、双方向性を生かした討論の場としてブログが注目されるなど、ネット上に新たな言論空間が生まれている。いま「論」の現場はどうなっているのか。(泉田友紀)

 「1日2万件」。「正論」の大島信三編集長(64)は、総合雑誌で初めて「編集長ブログ」を設けた昨年11月、開設直後のアクセス数に目を見張った。

 「一気にワーッときた感じ。編集長に直接、即座に意見を伝えられるという点が関心を呼んだのだろう」と振り返る。

 ブログは、簡単に更新できる日記形式のホームページ。日本では2003年にサービスが始まって以降急速に伸び、総務省のまとめでは、2006年3月現在のブログサービス利用者は868万人にのぼる。

 ブログの流行は世界的潮流で、米国では、9・11事件後の細かな情報提供で火がつき、韓国ではブログの議論が、現大統領の誕生に大きく寄与したとされる。

 多くは身辺雑記をつづったものだが、「ブロガー」と呼ばれる管理者のなかには、鋭い批評が人気を集め、常時数千〜数万単位の読者を持つ「アルファブロガー」という影響力を持つ人も生まれている。社会派で知られる「極東ブログ」の管理者、石垣良樹さん(49)もその一人で、石垣さんは「ブログを通じて感性の確かな人を見いだし、連帯感が得られるのがいい」とブログの魅力を語る。

 自らもブログを持つ稲葉振一郎・明治学院大学教授(社会倫理学)は「ブログが読むに値する存在になった。ある種の公共空間ができあがっているといえる」と論じる。

 一方、1950年代後半から60年代前半に最盛期を迎え、20万部以上の部数を誇った「中央公論」や「世界」などの総合雑誌、論壇誌は80年代以降、急速に力を失った。現在は大半が10万部を割り込んでいる。読者は50、60代以降の男性が中心で若者の支持があるとはいえない。

 「論壇雑誌あって、論壇なし、という状況になってしまっている」。「思想」の編集長を長く務めた小島潔さんは現状をこう語る。

 「講和論争、安保問題のころは、大衆的基盤の上に論壇がかろうじて成立していた。それは戦後日本の大きな可能性だったと思う。だが、知識人と大衆がそれぞれ変質し、つながりが希薄になった」

 いまや、紙媒体を中心とした論壇は、ブログを無視できない状況にある。「世界」は総合雑誌としては初めて、2005年4月号に「ブログ時評」を開始。「中央公論」も同10月から「ブログ・ハンティング」を連載している。

無責任な議論

 もちろん、ブログにも課題は多い。コメント欄に中傷が殺到し、「炎上」して閉じるケースも多い。また、校閲機能も十分でなく、無責任な議論が横行するとの指摘も少なくない。

 また、自己主張の強い意見に一気に流れやすいもろさもあり、先の稲葉教授は「ブログの内容を常連以外の人たちに広く伝えるため、本などのかたちにするには、結局人と会うなど、“古典的”な作業が必要になってくる」と、その限界を示唆する。

 批評家の東浩紀さん(35)は、「ブログがホットな時代は終わり、当たり前のメディアになった。既存の論壇の外にブログがあるという感覚はない」と言う。

 ブームの終わりは定着の証しともいえよう。自らのブログも持つ大竹文雄・大阪大学教授は「いま、ブログは過渡期にある。紙媒体と両方に発言している人の働きかけがかけはしになるのではないか」と語る。

 「言論NPO」(工藤泰志代表)では、日中問題など個別問題ごとにブログ上にテーマを設け、多くの意見を吸い上げた上で、一部を紙媒体でも発行し、紙媒体の信頼性・安定性と、ネット上の双方向性、機動性を共に生かす試みをしている。「融合」が可能になった先には、どんな言論空間が広がっているのだろうか。

http://www.yomiuri.co.jp/net/feature/20061011nt03.htm