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2006年09月27日(水) 00時00分

安倍“カミソリ副長官”抜擢…霞が関を激震ZAKZAK

“初代”後藤田が徹底敵に鍛え

 【官僚聖域にメス】

 「もっとすごいブレーンがいる。本物は話題にならないもんだ。まあ、(安倍人事を)開けてみてのお楽しみだよ」

 ある首相側近は先週末、夕刊フジ取材にこう語っていた。当時、JR東海の葛西敬之会長(65)らが入閣候補として浮上していたが、まったく別の“隠し玉”がいることを示唆していたのだ。

 26日の閣僚人事は確かに論功行賞色の強いものだったが、永田町や霞が関が最も驚いたのは閣僚ではなく、官房副長官(事務)に旧大蔵官僚で、国土庁事務次官や大和総研理事長も務めた的場順三氏(72)が抜擢(ばってき)されたことといえる。

 事務の副長官は本来、首相が人選する政治任用ポストだが、これまでは前任者が後任を選ぶ形で、旧内務省系の旧厚生省や旧自治省などの事務次官経験者が起用されるのが慣例だった。

 ところが、安倍首相はこの「聖域」にメスを入れたのだ。

 前出の側近氏は26日夜、「事務の副長官は官僚主導の元締め的な存在。安倍首相がここにメスを入れたのは、『官邸(政治)主導で改革を進める』という、国民と霞が関(官僚)へのメッセージだ」と解説する。

 【闘う副長官】

 的場氏は、昭和9年、滋賀県生まれ。32年に京大経済学部を卒業後、大蔵省に入省し主計畑を歩んだ。内政審議室長として中曽根康弘氏や竹下登氏など4人の首相に仕え、「前川リポート」の作成にも関わるなど、経済政策の中心的役割をになった。

 その間、「カミソリ」と恐れられた中曽根内閣の官房長官、後藤田正晴氏の薫陶を受け、内閣安全保障室長だった佐々淳行氏(現評論家)とともに徹底的に鍛えられたという。

 後藤田氏は当時、的場氏ら部下の室長に、(1)省益を忘れ国益を想え (2)嫌な事実、悪い事実は速やかに報告せよ (3)勇気をもって自分の意見を言え (4)私の仕事ではないと言って争うな。自分の仕事であると言って争え (5)決定が下ったら速やかに実行せよ−と訓示していた。

 「的場氏は『後藤田学校の生徒』を自認するだけあり、不正や不義を許さず、国益を守るためなら霞が関と衝突することもいとわない。まさに闘う副長官だ。安倍首相としては女房役の官房長官に若い塩崎恭久氏を起用したため、事務の副長官には霞が関に睨みがきき、父の晋太郎氏時代からのブレーンである的場氏を抜擢した。考え抜いた老獪な人事だ」(官邸筋)

 安倍首相は前任の副長官だった二橋正弘氏が、平成17年12月に発覚した在上海日本総領事館員自殺事件で、内閣情報調査室の報告を伝えなかったことに強い怒りを感じていたともいう。

 霞が関は「闘う副長官」の出現に戦々恐々としている。

 【森氏の人事介入】

 「官邸(政治)主導」の布陣を整えた一方、安倍首相は人事でいくつか譲った部分もあった。最終的に中川秀直氏(62)=森派=に落ち着いた幹事長人事がそうだという。

 当初、安倍首相は、自民党総裁選で国民的人気を集めた麻生太郎外相(66)=河野G=を幹事長に据え、兄貴分的存在である中川氏は経済政策の中心的役割を果たす経済財政担当相での起用を考えていたという。

 関係者によると、安倍首相は総裁選2日前の今月18日夜、六本木ヒルズにある森喜朗元首相(69)宅を訪ね、この人事案について切り出したという。

 森氏は「それなら官房長官はうち(森派)だ。派閥として譲れないよ」とクギを刺し、「中川君は閣僚は受けないよ」と突き放した、とされる。

 これに安倍首相は、中川氏が森政権の官房長官を女性スキャンダルで途中辞任した「トラウマ」に配慮したらどうかと含み感じ、意中の「麻生幹事長」をあきらめたというのだ。

 ともかく、安倍氏率いる「闘う布陣」は、政治理念や信条が近い「同志仲間」と、総裁選で支持してくれた面々が結集している。

 見た目は「順当・地味」かもしれないが、国民が求めるのは、日本が抱える数多の懸案事項を果敢に処理していくことだろう。 

ZAKZAK 2006/09/27

http://www.zakzak.co.jp/top/2006_09/t2006092757.html