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2006年09月16日(土) 00時00分

【関連】『待ち続けた』『区切り』 遺族癒えぬ心の傷 東京新聞

 「世紀の裁判」は、控訴審が一度も開かれないという異例の形で幕を閉じた。逮捕から十一年余り。オウム真理教元代表麻原彰晃被告(51)=本名・松本智津夫=の死刑が十五日、確定した。「死刑確定を待ち続けた」「区切りがついた」。肉親を失った遺族や、いまも後遺症に悩む被害者は、それぞれの思いでこの日を迎えたが、心の傷は、首謀者の死刑が確定しても癒えることはない。 

 「死刑確定を待ち続けた十一年六カ月でした。本当に長かった」。地下鉄サリン事件で、営団地下鉄(現東京メトロ)職員の夫を亡くした高橋シズヱさん(59)らは十五日、東京・霞が関の司法記者クラブで会見し、「官公庁を狙ったテロ事件なのに、被害者には何の補償もない。国は被害者対策を」と訴えた。

 高橋さんは麻原被告の一審で百二十回以上傍聴したが、一度もまともな話を聞けなかった。「真実を語らせるべきだとの声もあるが、これ以上何が進展するのか。いまさら謝罪や反省を聞きたいとも思わない」と話し、特別抗告の末、判決確定の時期も分からなかったことにも「最後まで振り回され、遺族が何の権限もない存在でしかないと惨めで悲しくなった」とやり場のない怒りを込めた。

 同じ地下鉄サリン事件の被害者で、今も寝たきりの妹幸子さん(43)を介護する浅川一雄さん(46)も「今日を境に何が変わるわけでもない。被告は税金で生活を支えられているのに、被害者は生きていくことすら難しい」と語った。浅川さんは「介護できる家族がいない被害者はどうするのか。僕らがいなくなったら、子どもたちに妹の面倒をみろとも言えない」と吐露する。

    ◇

 坂本堤弁護士=当時(33)=一家殺害事件の被害者の一人、妻都子さん=同(29)=の父大山友之さん(75)は、死刑確定を茨城県ひたちなか市の自宅で知った。「出るべくして出た決定と思います」と、淡々と語る大山さんはこの十年間、裁判の傍聴に通い、事件の真相を求め続けた。「麻原被告の口から真実が語られるなら裁判を続けてほしいと思いますが、難しい状況ならしょうがない」と受け止めている。それでも「仏前に『名誉が回復されたぞ』と報告したいが、これでは都子たちは無駄死にです」と無念さをにじませた。

 坂本弁護士が勤務した横浜法律事務所(横浜市中区)では、同僚だった弁護士らが十五日夜記者会見。救出活動の先頭に立った小島周一弁護士(50)は「事件発覚直後はマスコミであれほど冗舌に偽りを語ったのに、裁判ではついに何も語らず、自らの世界に逃げ込んだ」と麻原被告を非難し、「どうして未曾有の凶悪事件が次々と起こったか、麻原被告がどう関与したか、背景を知りたかった」と唇をかんだ。

 坂本弁護士の母さちよさん(74)は今週初め、小島弁護士に電話で「静かに三人を思って暮らしたいので、私からマスコミの方々に申し上げることは遠慮したい」と伝えたという。同事務所の弁護士らは十六、十七両日、三人の遺体が見つかった新潟、富山、長野各県の現場を慰霊に訪れる。

    ◇

 監禁致死事件で亡くなった目黒公証役場事務長仮谷清志さん=当時(68)=の長男実さん(46)は「裁判としては区切りですが、心の傷は死ぬまで背負っていかなきゃいけない」と語った。麻原被告については「審理を続けても、真実が語られるとは思わない。一審は十年費やされ、死刑に値する審理は尽くされたと思う」と言う。

 実行犯とされる元幹部の中川智正(43)、井上嘉浩(36)両被告とは、拘置所の接見室で向かい合った。「中川被告は父の最期をみとった。今後、真実を話してくれるんじゃないかと期待している」

 松本サリン事件で二男豊さん=当時(23)=を失った静岡県掛川市の小林巌さん(70)と妻房枝さん(64)は、「まだ終わりではない。実行犯の裁きは済んでいないし、麻原はまだこの世にいる。死刑執行まで見届けることが務めです」とうなずき合った。

■閉じこもる教祖鑑定書

 詐病なのか、重度の拘禁反応なのか、真相は闇の中だが、「訴訟能力あり」とした鑑定書からは、自分の世界に閉じこもる教祖の孤独な姿が透けて見える。

 「拘置所で絶好の瞑想(めいそう)の機会を得ている」。一九九六年五月、麻原被告は破壊活動防止法の弁明手続きで豪語したが、半年後、側近だった井上嘉浩被告(36)=上告中=に地下鉄サリン事件前の「車中謀議」を暴露されると、様子がおかしくなった。

 この日、弁護側の反対尋問中止を求めた麻原被告は拘置所に戻ると、「おれの弟子は…」と泣き叫び錯乱状態に。この後、弟子たちが相次いで教祖の面前で証言したが、不規則発言で退廷になるケースが増えた。

 「第三次世界大戦が起きているから、日本はありません」。虚言が目立ち始めたのは九七年四月ごろ。拘置所では職員の介助が必要になった。同年七月以降は、独り言以外は言葉を発せず、二〇〇一年三月からはオムツを常用するようになった。

 二〇〇〇年夏からは公判での問いかけに応答しなくなり、最後の意見陳述も沈黙。しかし、〇四年二月二十七日の一審の死刑判決後、独房で「なぜなんだ、ちくしょう」と大声で叫び、怒りをあらわにしたという。

 〇四年十月、拘置所内で運動中、「大リーグボール3号だ」「甲子園の優勝投手だ」などと投球するしぐさを三回繰り返した。同年八月以降、麻原被告の二女や三女が接見を重ねたが、会話は成立せず、娘の前で自慰行為にふけることもあった。

 今年三月二十七日、東京高裁が控訴棄却を決定。刑務官が決定文が届いたことを知らせると、麻原被告は起きあがって背筋を伸ばした。刑務官が主文を読み上げた時、麻原被告は小声でブツブツとつぶやき、数日後に「おれは無実だ。おれははめられた」などと話したという。弁護団は「拘置所の報告書は、ねつ造で信頼できない」とコメントしている。


http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20060916/mng_____sya_____011.shtml