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2006年09月16日(土) 10時19分

松本被告死刑確定 当事者の心の傷いまも深く毎日新聞

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松本智津夫被告の死刑確定を受けて会見する地下鉄サリン事件被害者遺族の高橋シズヱさん(右)、被害者の兄の浅川一雄さん(中央)ら=東京・司法記者クラブで15日午後5時39分、山本晋写す    「亡くなった人間は家族のもとには戻ってこない」。オウム真理教(アーレフに改称)の松本智津夫(麻原彰晃)被告(51)の死刑を確定させた15日の最高裁決定に、教団による事件の被害者や遺族は、改めて「あの日」に思いをはせた。地下鉄、松本両サリンをはじめ、列島を揺るがせた未曾有の事件から十余年。今も当事者の心の傷は深く、癒されることはない。首謀者の「教祖」は最後まで法廷で真相を語らず、他の被告らから隔離された拘置所の一室で「終末の時」を迎える。【森本英彦、曽田拓】
 「待ち続けていたので『本当に長かった』という印象」。東京・霞が関で会見した「地下鉄サリン事件被害者の会」代表世話人の高橋シズエさん(59)は、厳しい表情のまま話した。「私の人生まで狂ってしまった。被告に真実を語らせるべきだという声もあるが、これだけ苦しめられた私としては(審理は)十分だと思っている」
 会が発足した96年から被害者や遺族の先頭に立ち続けた。事件から8年目に手記をまとめようと呼び掛けたところ「また思い出さなければならないのですか」と反対された。会員の遺族から「お世話になっています」と声を掛けられると戸惑う自分がいる。自身も遺族なのに、まるで世話役のようだ。それでも自らを励まして活動を続けてきた。「自分が黙るわけにはいかない」からだ。
 「被告の謝罪など期待出来ない」と思う。それでも法廷に通った。「被害者がここにいる、と裁判長に見てもらいたかった」。霞ケ関駅の助役だった夫一正さんは、50歳で命を奪われた。「夫より長生きして欲しくない」。1審が結審した03年10月、そう語った。あれから3年。松本死刑囚は51歳になった。
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 「オウム真理教家族の会」の永岡弘行会長(68)は20年ほど前、長男から言われた。「親子の縁を切って出家したい」。のめり込んでいく姿に危機感を抱いた。自ら説法会に出かけ、松本死刑囚に疑問をぶつけた。89年に家族の会の会長に就任し、現役信者を次々に脱会させた。サリンより毒性の強いVXで襲撃されたのは95年1月だった。
 「死刑は麻原だけでいい」。元幹部に極刑が言い渡されるたび、そう繰り返してきた。死刑が確定した元幹部の救命も訴える。
 「麻原が死刑で『殉教者』になれば、思うつぼではないか」。幹部の死刑に反対するうち、制度自体に疑問を持つようになった。それでも「あの男と接した時のことを思い起こすと(嫌悪感で)えもいわれぬ思いになる」。被告の死刑執行に反対すべきか。気持ちはまだ、揺れている。
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 坂本堤弁護士(当時33歳)が妻都子(さとこ)さん(当時29歳)、長男龍彦ちゃん(当時1歳2か月)とともに姿を消したのは89年11月のことだ。
 「新事実が出た時に法廷にいなければ、きっと後悔する」。都子さんの父大山友之さん(75)は法廷に通った。「部屋の鍵は開いていた」という神奈川県警の捜査に納得できなかった。「娘が鍵をかけ忘れることなどあり得ない」。知りたい事実が分からないまま、刑だけが決まっていくのがつらい。「麻原が真実を話すのなら裁判を続けてもいいと思う。でも、その望みがない以上、打ち切りもやむを得ない」
 大山さんの妻やいさん(72)は毎日、無事を祈り続けた。娘が帰って来た夢を何度見ただろう。「確かに私の横にいて、夢じゃないかと思って手を握ると暖かみも感じるんです。でも、朝になったら……」。事件から間もなく17年。やいさんの目から、涙がとめどなくあふれた。
(毎日新聞) - 9月16日10時19分更新

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060916-00000002-maip-soci