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2006年09月16日(土) 01時52分

9月16日付・読売社説読売新聞

 [麻原『死刑』確定]「教祖の裁判は何を残したか」

 10年5か月にも及んだ「世紀の裁判」は、あっけない結末を迎えた。

 オウム真理教の麻原彰晃こと松本智津夫被告の裁判で、最高裁が、訴訟手続きをめぐる弁護団の特別抗告を退けた。松本被告の死刑が最終的に確定した。

 未曽有の犯罪だった。地下鉄、松本両サリン、坂本堤弁護士一家殺害など一連のオウム事件では、27人の命が奪われ、5000人を超す負傷者が出た。

 「なぜこんな事件が起きたのか、首謀者の口から真実を聞きたかった」。そう悔しがる遺族や被害者は少なくないだろう。長い裁判が幕を開ける前は、社会全体が一度はそれを司法に期待した。

 ◆保身と裁判逃避の被告◆

 1996年4月に迎えた初公判。松本被告は意味不明な宗教的陳述をしつつ、認否を留保した。

 1年後、初の意見陳述では「弟子たちの犯行」を強調し、自らの関与を全面否定する無罪の主張を展開した。かつての「教祖」の露骨な保身の態度に、複数の信者被告が自身の法廷で怒り、嘆き、「真実は私が語る」と述べたほどだった。

 その9か月後、2度目の無罪主張をして以降、松本被告は法廷で口を閉ざすようになった。裁判からの逃避である。

 弁護団のやり方にも不満を抱き、拘置所での接見も拒否するようになった。応じたとしても何も語らない。不信、非協力の姿勢が弁護団の法廷戦術を迷走させたとも言える。

 1審の死刑判決、高裁の控訴棄却の判断に、松本被告は「なぜなんだ」「おれは無実だ」などと怒ったという。ならば弁護団と意思疎通のうえ、堂々と法廷で語るべきだったのではないか。

 強く非難されるべきは弁護団だ。

 ◆弁護団の責任は重い◆

 冒頭から検察側と全面的に争い、2004年2月の判決まで257回の公判、8年弱の期間を要した。重箱の隅をつつくような尋問を繰り返し、弁護団が延べ522人の証人にかけた時間は検察側の5倍、1000時間超にのぼった。

 弁護団の一人に死刑廃止運動家として知られる人物がいた。「死刑事件は一日でも長く裁判を続け、延命を図ることが被告の利益だ」。そう語っていた。引き延ばし戦術のゆがんだ論理である。

 裁判所もふがいなかった。弁護団に辞任されて法廷が混乱するのを恐れ、厳格な訴訟指揮をとれなかった。不毛な長期裁判に、国民の司法不信が広がった。

 その反省から刑事訴訟法が改正され、迅速裁判実現のため、公判前整理手続きなどが導入されることになった。国民の司法参加による「裁判員制」導入の必要性を訴える声も高まった。司法改革の流れを加速させたのは、松本公判1審の教訓と言っていいだろう。

 控訴後、新弁護団は控訴趣意書の提出期限引き延ばしという戦術に出た。「被告と意思疎通ができず、趣意書が書けない」という弁護団の主張に、一度は裁判所も期限延長を認めた。だが、期限が近づくと、今度は「訴訟能力がなく、治療が先決だ。鑑定結果が出るまで趣意書は出さない」と、さらに提出を拒んだ。

 弁護団の危険な賭けは、裏目に出た。「訴訟能力あり」という鑑定結果に基づき、高裁は裁判を打ち切り、控訴を棄却する決定を出した。

 期限内に提出していれば、2審の公開法廷で訴訟能力の有無を争う余地も残っていた。提出しなかったことで被告から審理の機会を奪った。結果的に刑の確定時期を早めることになった。取り返しのつかない“戦術ミス”と言える。

 高裁は決定の中で、「被告の権利を擁護する弁護士の職責から見て、極めて問題がある」と非難した。最高裁決定も、「このような事態に至った責任は、弁護人と被告の両方にある」と言及している。至極当然な指摘である。

 訴訟遅延行為を理由に、裁判所が弁護士会に対し、弁護団の懲戒処分などを請求する可能性もある。

 弁護士会も甘い対応は許されない。法曹界で、きちんとけじめをつけるべき問題だろう。

 ◆オウムの波紋は消えず◆

 オウム真理教の存在と一連の事件は、日本社会に何を残したのか。

 二つのサリン事件は、多数の市民を標的にした無差別テロだった。米国の「9・11」より6、7年も前に、それが日本で起きた事実を忘れるべきではない。

 現実のテロの恐怖におののいた。それなのに国、社会に「テロの根絶」「テロの未然防止」に向けた強い姿勢、行動は見えなかった。

 破壊活動防止法の適用による教団の解散も見送られた。名を変えてもオウムは存続し、今も1650人の信者が全国30施設で活動を続けている。周辺住民とのトラブルも絶えない。

 国際テロの多発を受け、政府は04年12月、「テロの未然防止に関する行動計画」を策定した。オウム事件の教訓を生かして、関係省庁には市民の安全確保のため最善を尽くしてほしい。

 教団が開催する「セミナー」には、毎回、大勢の若者が参加する。多額の資金が集まる。カルトに走る若者をどう救うかも社会全体で考えるべき問題だ。

 教祖の裁判の終結は、ひとつの区切りには違いない。だが、オウムの波紋は依然、社会から消えないままである。

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20060915ig90.htm