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2006年09月16日(土) 00時00分

沈黙…矛盾の決着 オウム事件が残したもの 東京新聞

 麻原被告は、死者十二人、負傷者五千人以上を出した地下鉄サリン事件や坂本堤弁護士一家殺害など十三の事件で殺人罪などに問われたが、裁判で何も明らかにしないまま、死刑確定の「この日」を迎えたことについてどう思うか。

 ジャーナリストの魚住昭氏は「早く死刑にすればそれでいいと言わんばかりの裁判所全体の性急なやり方に、憤りすら感じる。松本被告に精神障害の疑いがあり、治癒の可能性があるなら、治療すべきだ。これで、謎に満ちたオウム事件の真相が解明されるチャンスが、永遠になくなった」と悔しがる。

 多摩あおば病院(東京都東村山市)の富田三樹生病院長は、精神科医の立場から「松本被告に訴訟能力があるのかないのかも分からないまま死刑が確定した。このままでは受刑能力の有無も不明なまま刑が執行されることになる。治療すれば精神状況が改善する可能性はあるが、死刑が確定しているのに治療が許されるのか。十分な議論もせず、深い矛盾を抱えたままの決着になった」と話す。

 人権問題に詳しい山下幸夫弁護士は「控訴趣意書と麻原被告の訴訟能力をめぐり、弁護側と裁判所が対立し、控訴審で実質的に何も審議されなかったことは問題だ」と指摘。「東京高裁はこの事件の重大性と死刑求刑事件であることを考え、もう少し柔軟な訴訟指揮をすべきではなかったか。被告が治療を受ければ、証言できたのではないかという観点から、何かできなかったのかと思う。非常に結論を急いだように見える」と高裁の姿勢に疑問を呈する。

■『訴訟指揮に柔軟さ必要』

 ジャーナリストの有田芳生氏も「一九九七年四月の罪状認否でも、バカげた話ではあるが、しゃべっている。全くしゃべらない状況とは思わない。訴訟能力あり、なしで議論が分かれたのであれば、東京高裁は少し時間をかけてもよかったのに、なぜ急ぐ必要があるのか釈然としない」と話す。

 劇作家の山崎哲氏は「死刑確定自体は予想のうちで驚かないが、何もしゃべらずに終わると、信者がいろいろ邪推して麻原被告を神聖視してしまう。それが麻原被告の作戦だったのではないか。裁判には僕らに代わって裁く権利をゆだねているのだから、ただ死刑にするのではなく、国民の不安を明快にしてほしかった」と話している。

■『側近たちにメス入れよ』 

 東京大学先端科学技術センター特任研究員の島田裕巳氏(宗教学)は「事件のこともそうだが、本人が精神的にも身体的にも病んでいるかどうかも分からないままだということが問題」と指摘。その上で「裁判は事件全容を明らかにするより、被告の罪についての判断。事件全体を明らかにするには、捜査は実行犯だけではなく、麻原被告の側近にもっとメスを入れるべきだった。司法と別に全容解明の調査委員会をつくって追及することが必要」と強調する。

 作家の宮崎学氏は「結局、早く吊(つる)せ、吊せという空気によって決定されたものであって、なぜ、このような事件が起きたのか、彼らは何を起こそうとしていたのか、オウム事件に参加した人たちの意識はどうだったのか、本来、この裁判で明らかにされなければいけないことが何一つ明らかにならなかった。麻原という悪い奴(やつ)がいて、終わりました、では、社会は何も教訓化できないことになる。この決定は、将来に禍根を残すであろう」とみる。

 オウム真理教事件とは何だったのだろうか。

 宮崎氏は「地下鉄サリン事件が起きた九五年は、冷戦構造が崩壊して五年目にあたる。世界史的な大きな転換点にあって、さまざまな社会、東西の社会がアイデンティティーが崩壊していった過程の中で、宗教的な組織に心情的な不安を解消するという流れが、日本でも顕著になった。世の中が不安になればなるほど、いろんな宗教が起こってくる。それがオウムだった」と指摘する。

 さらに「ぼくらが若いころ、社会に対して持った問題意識は、宗教を通じてしか持ち得なくなったのか、という思いがあった。閉塞(へいそく)状況の中から生まれてきた組織、つまりオウムは、その閉塞状況を打ち破ることができずに終わった。大きな衝撃を与えたが、社会はさらに閉塞を強めていったにすぎない」とみる。

 魚住氏は「一見平和で、経済的に豊かに見えた社会が、実はその底に、とてつもなく深刻な問題を抱えているということを初めて知らされた。同時に、われわれマスコミにかかわる人間が、社会の表面しか見ていなかったことも痛感させられた」と話す。

■『裁判と別に議論が必要』

 山下弁護士は「なぜオウム真理教がこれほどの犯罪に関与するようになったのか、宗教団体の性質がどう変わったからなのか、刑事裁判に解明を任せてしまうのではなく、裁判で真相が明らかにならないからこそ、もう少し社会的にきちんと議論すべきだ。もちろん教団内部の要因もあるが、何らかのそうならざるを得ない背景が社会とのかかわりの中であったのではないかという気がする」と話す。

 島田氏は「二十一世紀でテロと結びついた宗教の先駆的な形態で、次世代の予兆を示すものだ。それが何だったのかが分からないままでは、これから起こることの予測もできない。だからこそ、解明していかなければならない。逮捕を免れている側近や幹部の中には、まだ事件全容を知る信者や元信者はいるはず。ここで終わりにしてはいけない」と繰り返した。

 フリーライター、いのうえせつこ氏は、マインドコントロールを「思考のレイプ」と断じた上、「コントロールする行為自体が犯罪だ。オウムのようなカルトの恐ろしさが十分認識されていないことが、現在『摂理』の被害者を生む土壌になっている。宗教の自由とはカルトに活動の余地を与えることとは別であることに日本人は無関心すぎる」と警告する。

■『特別な人が入信と違う』

 有田氏は「カルトは何か特別な人が入るものだと、今も多くの日本人は思っているが、そうではなく、人生のふとしたすき間に入ってしまうのが、カルトなんだ」と指摘。「多くの若者が抱えている問題が『オウム』という問題をはらんでいた。体を良くしたい、世の中を良くしたい、家族の問題から麻原を父のように思ったとか、ものすごく前向きな意欲でオウムに入った。なぜ彼らがオウムに入り、事件にかかわってしまったのか、きちんと総括すれば、今の日本が抱えていた問題とは何かが明らかになったはず」と指摘する。

 山崎氏は「和歌山毒物カレー事件や神戸市の連続児童殺傷事件など、オウム以後の事件は自分に関係ない第三者に殺意を示す新しい段階に入った。現実で救われず、宗教を信じてしまう精神的に不安定な人が増えている。オウムの信者たちがあれだけの事件を起こしても教団に残るのも、そこでないと救われないと思っているから。そういう意味でオウム事件は終わっていない」と語る。  

<デスクメモ>

 地下鉄サリン事件が起きた日、偶然にも日比谷にいた。「異臭騒ぎがあったらしい」との一報で近くの駅に行って大惨事を知った。あれから十一年。麻原被告の口から何も明らかにされないまま、死刑が確定すれば、「神格化が進む」。教団に今も身を置くわが子の帰りを待ちわびる家族の叫び声が耳に残る。(吉)


http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060916/mng_____tokuho__000.shtml