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2006年08月19日(土) 00時00分

埋蔵金を探せ! 追うのは「ゼニ」じゃなく「夢」読売新聞

「岩に暗号」 金山跡を捜索7時間ついに——

八重野さん(右)を先頭に坑口を探して歩いた(今月6日、群馬県片品村で)

 埋蔵金の存在を信じ、地下に眠る財宝を追い求めてやまない人たちがいる。一獲千金を狙うのではなく、ロマンを追う会社員らだ。道なき道を行くハードな宝探しの旅に同行した。

 新潟、福島、栃木県境に位置する群馬県片品村には埋蔵金伝説が根強く残る。

 「埋まっているのは江戸幕府の御用(ごよう)金でしょう。地元住民の多くは、埋蔵金の存在を信じています」

 「日本トレジャーハンティング・クラブ」(JTC)代表の八重野充弘さん(58)は山々を見上げて言った。本職は作家という八重野さんは、30年以上も埋蔵金探しを続ける国内の第一人者。埋蔵金に関する著作も数多くある。

 8月6日、八重野さんらの宝探しに同行し、山中の「金井沢」と呼ばれる区域に向かった。ここに埋蔵金があると信じる根拠は二つあるという。

 一つは1868年(慶応4年)の春ごろ、8頭の牛が千両箱とみられる鉄製の箱を積んで歩いていたという言い伝えがあること。もう一つは戦後間もないころ、村の炭焼き職人が「わしは財宝を見つけた。もうすぐ大金持ちになる」と酒席でつぶやいたことだ。その直後に亡くなった職人は、岩に描かれた暗号を見つけていた。「子方(ねかた)へ入」という文字と山や川の絵だった。

 「埋蔵金の在りかを示すヒントではないか」。八重野さんはそうにらむ。


今年4月、福井市で約11万5000枚の銅銭が出土 銅銭ザクザク

 この日集結したJTCメンバーは八重野さんと会社員ら計3人。探査するのは、八重野さんが約10年前に調べたという金山跡とみられる坑口だ。実は地下道の入り口で、奥に埋蔵金が眠っているかもしれない——。

 はやる気持ちを抑えながら山中に分け入る。岩壁をロッククライミングのようによじ登ったりしながら、険しい山道を歩くこと約3時間。だが、かつて存在したはずの坑口がない。土砂に埋もれてしまったのだろうか。木々をかきわけ、足を棒にして探し回ったが見つからない。

 「安全に帰るには、ここで切り上げるしかない」という八重野さんの決断で下山。結局、7時間以上も歩いたことになる。だがメンバーの意気は衰えない。

 東京都江東区の会社員東裕久さん(45)は「簡単に見つかるとは思っていない。ただ、史料をひもといて想像し、現地入りして調べる。それが楽しい」と汗をぬぐいながら笑顔をみせた。

 埋蔵金発見は夢物語ではない。

 1963年(昭和38年)夏。東京都中央区の日清製油(当時)の本社ビル改装工事現場から2度にわたり、約8万枚の小判や金が見つかった。当時の時価で5000万〜6000万円相当とされる。現在の貨幣価値に置き換えると「10億円近い金額になるのでは」と八重野さんは話す。

 昭和30年代ごろまでは、全国各地から埋蔵金の発掘が報告されていたが、最近は少ない。掘り当てても、名乗り出てこない人もいるらしい。


 だが今年4月には、久々に胸躍るニュースが報道された。

 福井市の寺で、イノシシよけの柵の手入れをしていた檀家(だんか)の男性が、寺の裏山の斜面で一部をのぞかせているかめを見つけ、掘り出してみると中には銅銭がぎっしり。

 15世紀ごろに流通していた「永楽通宝」など50種類以上、約11万5000枚の銅銭だった。現代では700万円分のコメが買える金額になるという。

 群馬県・旧赤城村(現在の渋川市)に残る、いわゆる「徳川埋蔵金」など、全国各地に伝説や言い伝えが残る。埋蔵金を追い求めてやまない人は多く、78年に24人で発足したJTCの会員もじわじわ増え、現在は約50人になった。

 だが宝探しにすべてをささげ、財産や家族を失ってしまった人もいるという。八重野さんは「常に自分の行動を客観的に見る姿勢と遊び心が大切。宝探しは楽しむもので、のめり込むのは危険です」とクギを刺す。

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