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2003年10月29日(水) 00時00分

司法改革 主導権を市民の手に 東京新聞

 目標期限があと一年余に迫った司法改革が、このままでは一部で改革の理念から遊離したものになりかねない。新たな制度づくりにあたっては、もっと謙虚に市民の声に耳を傾けるべきだ。

 改革の大枠を決めた司法制度改革審議会の報告の際、具体的な制度づくりで、改革に消極的な法律家に骨抜きされるかもしれないと懸念された。司法制度改革推進本部の裁判員制度・刑事検討会の座長による「裁判員制度の概要案」を見ると、それは杞憂(きゆう)ではなかったようだ。

 座長案は委員のほとんどが法律家である検討会の議論を反映し、焦点だった裁判官と裁判員の数を三対四としている。なお検討の余地を残しているものの、「裁判員が気後れしないで発言できるよう裁判官の数倍に」という市民団体などの意見は採用されなかった。

 数倍説は自民党でも強い。同党には「現在の裁判官三人にこだわらず二人でもいい」とする議員もいる。だが、検討会では「裁判官を減らす理由はない」など現状を変えない方向の議論が優勢で、司法を抜本的に変える気概が伝わってこない。

 検討会の雰囲気は「裁判員制度は裁判官に裁判員を付加する制度」という意見に象徴される。司法を法律専門家にお任せにせず、市民が主体的に担うという改革の理念を理解していないのである。

 裁判員になる資格を二十五歳以上にしたのもその表れだろう。公明党は選挙権と同様に十八歳でも可としているが、検討会メンバーは「社会的経験の必要性」を理由に有資格者を絞り込もうとしている。

 裁判員の使命を終えた人にまで守秘義務を課し、そうした人への取材を禁止するのでは、裁判員を疑似裁判官にすぎなくしてしまう。判断過程がブラックボックスに閉じこめられて、司法と市民の距離が遠いままとなる弊害も大きい。

 対象を「法定刑に死刑か無期刑のある事件」などに限っては、裁判員を経験できる人が少なく、「統治客体意識から主体意識への転換」という改革の理念にそぐわない。

 判決を過半数で決めるのも疑問だ。事実認定で対立があっても多数決で死刑にできる。少なくとも死刑、無期判決は三分の二以上の特別多数決にすべきだ。

 たこ壺(つぼ)に入ったように外部の風に関心を寄せない検討会委員に任せていては、司法改革に市民意識が反映しない。市民が主役となる社会実現のため、広範な市民運動や政治への働きかけを通じて、改革の主導権を法律専門家から取り戻したい。


http://www.tokyo-np.co.jp/00/sha/20031029/col_____sha_____003.shtml