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2003年10月28日(火) 00時00分

迷走した麻原弁護 初公判から7年半 亀裂埋まらず31日結審 東京新聞

 オウム真理教の麻原彰晃被告(48)=本名・松本智津夫=の最終弁論が三十、三十一の両日、東京地裁(小川正持裁判長)で行われ、結審する。空前の裁判で、十二人の国選弁護団(一人は途中から私選)は、法廷の内外で批判の矢面に立たされた。刑事裁判の原則を守ろうとする理想と、最も凶悪な犯罪の「首謀者」への処断を望む世論。そのはざまで、被告本人と心を通わせることなく迷走した、麻原弁護の七年半とは−。 (社会部・浜口武司)

 国選弁護団の最大の誤算は、一九九六年四月の初公判から半年余で、麻原被告との意思疎通が難しくなったことだ。弁護団は、検察側証人として出廷した元教団幹部・井上嘉浩被告(33)=二審で審理中=への反対尋問を麻原被告の意に反して強行。その後、麻原被告は接見を拒みはじめた。

 弁護団と麻原被告の亀裂の源は、さらに一年前にさかのぼる。九五年十月に予定されていた初公判の前日、麻原被告が突然、私選弁護人を解任。裁判所側は期日を取り消し、急きょ国選弁護団の選任に踏み切った。

 九人で弁護団が結成されたのは同十一月(翌年二月から十二人)。検察側から開示された膨大な証拠を読み込む一方、麻原被告と接見したが、事件の核心について十分な話ができないまま、初公判を迎えてしまった。

 「世間話をしながら信頼関係を深めていくのだが、事実関係を確定させようと性急になり、自分だけの世界に閉じ込めてしまった」。渡辺脩弁護団長は当時、そう反省の弁を口にした。

 ■最後まで接見・証言拒否

 麻原被告の考えを理解しきれないまま初公判を迎えた弁護団は、認否をすべて留保。「弟子」たちの証言に追い詰められた麻原被告は、意見陳述をさせない弁護団への不信感を募らせた。井上被告への反対尋問で、証言を切り崩そうという弁護団の意図は、被告には最後まで通じなかった。

 月四回の公判。接見を拒否する被告。いらだちが高じた弁護団は「実質的な弁護活動ができない。裁判が(有罪前提の)セレモニーになる。われわれは飾り物ではない」と怒りを爆発させ、九七年三月に公判をボイコットする騒ぎとなった。

 結審で公判回数は二百五十六回、総審理時間は約千三百時間に及ぶ。その中で麻原被告が意見を陳述したのは、九七年四月と九八年一月などわずか。いずれも事件を「弟子たちの暴走」と位置づけ、無罪を主張した。

 弁護団の武器は、麻原被告の説法集や著書、弟子たちの法廷での証言などだけだ。

 麻原被告が接見に応じていた当時のメモは、署名がないため証拠として使えない。

 「九七年四月の意見陳述に沿って、最終弁論をするしかない」。そう話す弁護団の一人は疲労の色を濃くしていた。

 ■渡辺脩弁護団長に聞く

 ——最終弁論の方針は。

 オウム真理教は宗教団体であり、麻原被告は宗教家であるというのが僕らの出発点。検察側は最初から殺人集団と決めつけ、宗教活動の中から、なぜ事件が起きたのかという土台が切り捨てられている。教祖の責任と刑法上の「謀議責任」とは区別すべきだ。弁論では謀議責任がないことを明らかにする。

 ——弁護団の反省点は。

 公判期日が過密で、もっと減らすよう強く要求すべきだった。起訴された事実の件数や内容を考えると、審理は非常に早く進んだ。裁判が長すぎたという批判は、中身を見ない議論だ。有罪の方向でしか裁判を見ておらず、不健全だ。

 ——麻原被告の接見拒否は誤算だったか。

 被告には沈黙する権利があり、その状況下で弁護するだけだ。黙っているから真相が分からないというのは間違いで、真相解明は警察、検察側の責任。もちろん弁護団としても聞きたいことはあり、それは残念だった。

 ——国選弁護の費用が四億二千万円に上った。弁護団としても、脅迫電話を受けたり、企業との顧問契約を打ち切られたりするなどし、引き受けたことに後悔はないか。

 仕事量からみれば報酬はわずかで、見合うものでない。しかし、弁護士として国選弁護を受けるのは当然だ。ただ、健康と事務所の経営では、長すぎて負担になった。

 ——死刑判決が出されたらどうするのか。

 そうなったら控訴するが、その場合、今の弁護団は全員交代すべきだと思う。控訴審では新しい人が新しい目で証拠を見た方がいい。ぼくらは心身ともに限度ですよ。

 ——オウム事件とは何だったのか。

 「分からないことがたくさん残った」と言うしかない。オウムという異物を排斥する論理が警察や報道にあり、全体像をゆがめてしまった。異質のものを切り捨てる論理は災厄を招く。


http://www.tokyo-np.co.jp/00/kakushin/20031028/mng_____kakushin000.shtml