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2003年10月27日(月) 00時00分

視聴率操作 問われるテレビ文化 東京新聞

 「個人の倫理違反」ですますわけにはいかない。日本のテレビ文化、それを支えている広告スポンサー、視聴者が問われている。最も批判されるべきは、民間放送関係者の公共性意識の低さだ。

 視聴率調査の対象世帯に工作して自分の作ったテレビ番組を見るよう働きかける−日本テレビのプロデューサーが本当に実行したことに驚きはしても、意外には思わなかったテレビ関係者は多いという。テレビの現場では視聴率が単一の価値基準として独り歩きし、関係者が数字の上下に一喜一憂しているからだ。

 同社では個人的行為としているが本当だろうか。上司の関与、百万円を超えたと見られる資金の出所など全容を早急に調べ、放送で公表すべきだ。それも早朝、深夜ではなく、それこそ視聴率の高い夜のゴールデンタイムでなければならない。

 個人の思いつきだとしても、背景に“狂奔”と形容できるほど視聴率にこだわる、テレビ業界の体質があることは間違いない。一日二十四時間しかない時間を切り売りする民放業界にとって、視聴率はコマーシャル放映時間の単価に結びつき、企業の浮沈にかかわる指標だ。

 したがって、内容ではなく視聴率の高さが番組と制作者の優劣を評価する尺度となる。それが一部に「数字のためなら何でも」といった利益最優先の雰囲気を生んでいる。

 在京キー局が栄え、社員は破格の高給に恵まれている半面、番組を実際に作る下請けの従業員は薄給に甘んじているといった、テレビ業界特有のゆがんだ実態もある。

 これらは国民の共有財産である電波を使っていることを忘れた、キー局の経営姿勢が大きな一因と言えるだろう。企業活動の土台が国民からの借り物であるとの自覚を、幹部から現場まで徹底的に植え付けなければならない。

 視聴者、スポンサーとなる企業経営者も自覚を求められる。「低俗」「くだらない」と口では言ってもチャンネルをその番組に合わせたり、見てもいないテレビのスイッチを入れたままにしていては、何も変わらない。

 視聴率は高くても無責任な番組でコマーシャルを流す会社の商品が消費者に敬遠され、低くても質の良い番組のスポンサーの商品が買われるようになれば、テレビ放送は自然に変わるだろう。

 民放テレビ五十年の節目である。単なる日本テレビの不祥事として片づけないで、視聴者、消費者の確かな目、広告主の優れた見識でテレビ文化を変える転機としたい。


http://www.tokyo-np.co.jp/00/sha/20031027/col_____sha_____002.shtml