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2003年10月02日(木) 12時52分

社説1 社会の常識映す裁判員は十分な数に日経新聞



 国民が刑事裁判の審判を務める裁判員制度の立案作業が、大詰めを迎えている。政府の司法制度改革推進本部は、先月あった裁判員制度・刑事検討会の集中審議を基に、近く裁判員制度の骨子案をまとめる。来年の通常国会には、裁判員導入に必要な法案が提出される予定である。

 日本を除いて主要8カ国(G8)は、国民が参加する裁判制度も持っている。民主国家では、裁判の運営でも国民が責任を分担するのは当然と考えているからである。

 法律専門家だけに裁判の運営を任せると、ときに国民の感覚からずれた結果になりかねない。裁判の質を高める上からも、国民の健全な社会常識を裁判内容に反映させることは不可欠である。米国の陪審研究家は、国民の司法参加について「法律はドライフラワーのようなものなので、それに命を与え社会の価値観に合わせる役割がある」と述べている。

 近くまとまる骨子案は、その趣旨が生きる内容になるであろうか。検討会の議論は、いささか危惧(きぐ)の念を抱かせる。裁判官の数をこれまで通り3人とし、裁判員をそれと同数か少し多くとの意見が多数を占めているからだ。このままでは、裁判員は飾り物に終わりかねない。

 国民の価値観は多様化している。偏りのない社会の常識を裁判に反映させるには、年齢、性別、職業、教育歴などで多彩な人々が裁判員に選ばれる必要がある。2—4人の裁判員では少なすぎる。米連邦最高裁が6人未満の陪審員では社会を公正に代表しているとはいえないとして違憲判断を示したのは、そのような理由からである。

 重大な事件には3人の裁判官が関与するいまの仕組みを当然の前提として、それに何人の裁判員を加えるかという発想にも問題がある。裁判員制度は、国民から選ばれた裁判員と法律専門家である裁判官が互いの長所を生かし、足りないところは補い合い、より質の高い裁判を目指す新しい仕組みの創造である。現行制度への執着は捨てるべきだ。

 裁判員制度について中間案をまとめた自民党の小委員会では、「裁判員はお客さんであってはならない」「国民の常識に期待し裁判官は2人でいい」といった意見も出た。法律専門家と違って国民と常に接しているからこそ言える意見であろう。

 裁判員と裁判官の数は、裁判員制度のカギを握る。国民の常識が反映され、実りのある議論ができるために十分な数の裁判員と、専門家が過度の影響力を発揮することを避けるために少ない裁判官が望ましい。

 

http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/index20031002MS3M0200H02102003.html