2003年09月02日(火) 11時01分
JCO試験棟、臨界事故後初めて公開(読売新聞)
1999年9月、国内初の臨界事故が起きた茨城県東海村の核燃料加工会社「ジェー・シー・オー(JCO)」東海事業所の転換試験棟(当時)が2日、事故後初めて報道陣に公開された。
この建物は、事故の責任を問うための証拠として保全されていたが、刑事裁判の終了に伴って8月、JCO側に返還された。
鉄筋平屋建ての建物内部にはウラン精製のための溶解塔、貯塔、沈殿槽などの設備が事故当時のままに残されていた。今も沈殿槽の一部から1時間あたり80マイクロシーベルトのごく微弱な放射線が出ているが、数時間内部にいても健康に影響はない程度だという。
JCOは8月29日、国に対して核燃料物質の使用許可の変更申請を提出した。認められれば今秋にも内部設備の撤去作業を始める。その後の利用方法については未定という。
臨界事故は、高速実験炉「常陽」で使うウランを精製中、作業員が規定量以上のウラン溶液を、不適当な形の沈殿槽にバケツで注入するなどしたため起きた。
作業員3人が大量被ばくし、うち2人が多臓器不全のため死亡。事故当時の東海事業所長ら6人が原子力事故では初めて業務上過失致死容疑で逮捕された。6人とJCOは今年3月、水戸地裁で有罪判決を受け、判決が確定している。(読売新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030902-00000003-yom-soci