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2003年08月24日(日) 00時00分

週のはじめに考える “乱麻を断つ”危うさ 東京新聞

 少年犯罪、長引く不況…難問山積の中で“快刀乱麻を断つ”ような小泉流政治表現への警戒があまり見られません。糸のもつれをほぐす多重思考がもっと必要です。

 「単純に、分かりやすく、繰り返す」−ナチスの宣伝の基本でした。宣伝の天才といわれたゲッベルスの考案と伝えられています。

 世の中のことは、さまざまな要素が絡まり合っています。連立方程式を解くように、複雑な網の目をほどいていかなければ、問題の真の解決は得られません。

 しかし、それには時間がかかりますし、単純化した方が大衆の理解、支持を得やすいことは歴史が示しています。複雑な部分は切り捨て「右か左か」式に提示するのです。

■巧みな修辞で高い支持率

 「抵抗勢力」「聖域なき改革」など巧みな修辞で国民をひきつけ、高い支持率の小泉純一郎首相とイメージが重なる、という人がいます。

 ナチスはメディアの利用も上手でした。放送を通じてプロパガンダがドイツ中に行き渡るよう、「国民受信機」と名付けた安価なラジオを量産、普及させました。生まれたばかりのテレビで党大会を実況中継させたりもしました。

 小泉首相は、テレビカメラの前で政治状況を単純明快に論評し、時には対立相手を短い言葉で切ってさっと消えます。新聞などの活字メディアと違い、映像優先で議論や論理的考察を省きがちなテレビは、政治家の宣伝に好都合なのです。

 長引く不況で閉塞(へいそく)状態の中では、小泉流の「快刀乱麻を断つ」式の課題設定や言動が小気味よく感じられます。敵を明確に指摘されると、それを攻撃して留飲を下げることもできます。状況もナチス台頭の背景に似ているのが気になります。

 怖いのは小気味よさがもたらす思考停止です。大事を見逃し、後で悔やむことになりかねません。小泉改革の裏で、歴史や憲法に照らすと気がかりな事態が進んでいます。

■既に起きている思考停止

 自衛隊の海外派遣拡大、「痛みの分かち合い」を名目にした福祉の見直し、クビ切り経営者が有能であるかのように評される安易なリストラ…どれをとっても事柄の重大性に比べて国民の間の議論は十分とはいえませんでした。従来の難問があっさり国会を通過しています。

 思考停止社会では、言語の明瞭(めいりょう)さに惑わされて本質を見失うことがままあります。詭弁(きべん)、無責任な発言もまかり通ります。

 小泉政権下では、既にしばしばそうした現象が起きています。

 「フセイン大統領が見つかっていないからといって、フセイン大統領がいなかったとは言えない。同じように大量破壊兵器が見つからないからといっても、なかったとは言い切れない」

 こういう趣旨の首相発言は国会という公式の場で行われました。論理的には全く破綻(はたん)していますが、首相にとってさしたる失点にはならなかったようです。

 「どこが非戦闘地域かと今、私に聞かれても分かるわけない」−こんな最高司令官が非戦闘地域なるところに自衛隊を送り出すことも認められました。

 民間企業の給与水準が低下し、高齢者の命綱である年金が減らされる時代に、公務員給与を下げるのはやむを得ません。でも、それを当然と言う口で、「国会議員の歳費や手当も下げよう」「特権を見直せ」と、なぜ叫ばないのでしょう。地方では見直しが始まっています。

 物価が下がれば、議員の消費する物品や役務の対価も減るはずです。選挙民と痛みを分かち合うべきだとの声が高まらないのは、“快刀”で切り伏せた相手の陰にいる、もっと大きな敵を見失っているからではないでしょうか。

 「知の退廃」とでも言うべき現象も目立ちます。ネット上では、少年犯罪をめぐり「目には目を。命には命を」「親も同罪」といった議論が飛び交っています。

 法による支配、人格の独立と個人責任、報復の連鎖からの脱却など、長い間に人類の英知で築かれた原則が崩れようとしているのです。

 本来、理知的な人が担うべき政治の世界でも、知性欠如の露呈がさして恥ずかしくなくなりました。

 「集団レイプする人はまだ元気があるからいい。正常に近いんじゃないか」(太田誠一・自民党行政改革推進本部長)

 「(長崎で男児殺害事件を起こした少年の)親は市中引き回しのうえ打ち首にすればいい」(鴻池祥肇防災担当相)

 これらの発言を歯切れ良い本音の吐露と評価する人さえいます。

■自ら考えて主体的に行動

 半世紀余り前、日本人は複数の選択肢を持たず、「鬼畜米英」「敵撃滅」など単純なスローガンで悲劇の結末に突き進みました。

 政治、社会のあり方を考え主体的に行動することは、自由な社会に生きる者の次世代に対する責任です。軽々に乱麻を断たず、連立方程式に挑む努力が求められています。


http://www.tokyo-np.co.jp/00/sha/20030824/col_____sha_____001.shtml