恩田さんからのお便り6

悪徳商法コーナーをたまたま見てしまったSPGF、即ち、シャクティパットグル高橋弘二のファンデーションのメンバーの恩田謙より。

GURUレクチャーの編集が仕上りましたので、on しましたよ。

(1) この世には、言語学者が言語学なる呼び方の学術、または学問をつくったり、深めたり、分かち会ったり、しているのですが、中でも特別すごいのは、定説語と呼ばれる大仕事ではあるまいか。世界には無数と言われる言語が交差なのに、その単語、一語一語をとっつかまえて、2億語に、並々としたボリュームをたずさえて、人呼んで定説語と呼ばれるに至っているのでありまして。

 しかし、だからと言って、同時にこのことは、まだ、始まったばかりとも言えるのです。すなわち定説語辞典なるものが手付かず、そのままでありまして、なぜなら、単純に平均値を口走るならば、2億語と呼ばれている定説語の一語について、900アイテム、すなわちアバウトのページ数で言えば、何ページだと、単純には言いにくいけれど、平均的なボリュームページチェンジを大胆にもしてしまえば、900ページくらいにはなるのですよ。故に、定説語辞典というのをまとめるというのであれば、2億(語)×900(アイテム&ページ)=? といったはずでありまして、まあ、コンピューターなる神様のようなものが、今は現存しているようなので、不可能であるとは言えないのです。それにしても、えらいこっちゃでありまして、言語学者の業績というのは、もはやたとようもありませんよ。

(2) その伝で申せば、サブタイトルこそは「平和と安全について、国連がなんと言ったか」とも、何とも言えぬほどに、めちゃくちゃグレードの大きなサブタイトルではありますが、ぼちぼちおっぱじめることといたしますけれど、言葉のもつ意味こそが、サブタイトルの説明には特別重要なので、まずもって、平和とはand 国連とは、さらにセキュリティとは、言葉の意味からすればどうなるかについて、

(3) ピースと言えば、平和のことだと言いさえすればすむのだ、といった程度のお話であれば、何もわざわざ大騒ぎをするほどの問題ではないけれど、それでは間違っているのか、と問われれば、正しいぞ、間違ってなどいるものか、ということになってしまうので、これで終わりかと問えば、まだ始まってもいない、とまあ、訳の解らぬQand A、別名アジアでは禅問答とも言うようですが、さて、改めて平和とは、横文字で申せば、どれが正しいのか、ピースorセキュリティ、切っても切れない、いや、切られてなどたまるものか、これでこそバランスもよいし、人間とも言えるし、国連とも言われなければ、まずいのだ。すなわち、国連なる胴体があってこその両手、すなわちピースand セキュリティなのだからね。

(4) おっとどっこい話が違っているではないか、セキュリティは3つ目にあると言ったではないか。確かに3つ目なのだけれど、さらに中心には、国連なる存在が目立っているし、もう一度言って下さいよ、一人の人間が、胴体こそは国連と読んで、一方の、たとえば左手にはペース、それならば、左手こそはセキュリティ、切っても切れない、いや、切られてなどたまるものか、これでこそ、バランスもよいし、人間とも言えるし、国連とも言われなければ、まずいのだ。すなわち、国連なる胴体があってこその、両手すなわち、ピースandセキュリティなのだからね。

(5) 故に、この3つの言葉のつながりこそが、重要なのであって、これまた人間と同じく、一人のお方を、胴体だけとか、左手だけ切り離して、または右手だけを引きちぎって、そののちおもむろに、そのお方のなんたるかを、おちょくったり、議論したり、論文書いたり、定説まで通そうとしてみたり、まあ、そんなことすれば、したヤツが、氣が狂うか、死ぬか、であるはずでありまして、絶対にでき得ない、すなわち不可能そのもののことでありまして。

(6) それでは改めて、セキュリティから始めるとしましょうか。 とは申しても、言語学上の、いわゆる造語そのものでは、ないのですよ。2億語もの中から、セキュリティなる単語が定説語であったか、否かを調べるだけで、500年ほどかけない限り、実は、誰一人として、今のところ解りようがないはずでありまして、結論だけ、たった一言で言ってしまえば、数行で書けてしまうはずですが、これほどさように、言語学者の成し遂げたお仕事というのは、偉大なのでありまして。しかし想像などして頂ければ、誠におもしろいのですが、2憶語のうちセキュリティなる言葉は、見当たらなかったぞ、ということを、何に書いてあったか、クイズではないけれど、今のところ何ひとつ書いている書物などは、ないのですよ。では、どこから盗んできたか、拾ってきたか、頂いてきたか、何もそれほどまでの悪いことをやらなくても、簡単に知っているやつが、この世には一人ほどいまして、そやつの名こそ、シャクティパットグル高橋弘二なのですよ。GURUのもつ見識とも言いまして。

(7)その見識とやらによりますと、セキュリティとは、造語なのだ、それでは定説語と俗語とは、何が違うのか。すなわち俗語というのは、定説語ではないという意味だから、単純明解ですが、それでは定説語のもつ特徴といえば、即ち、その単語のもつ真の意味こそが、言語学者を初めとして、ありとあらゆる職者の脳みそ集めによって、限定されて過去完了なのだ。したがって改めて、定説語の2憶語ともいえる中のひとつ、ひとつは、もはや、なんともしがたい、動かしがたい、いわゆる不動の定義そのものこそが、その単語のもつ真の意味そのものであって、もはや人間の立ち入る隙など、どだい有り得ないはずなのですよ。

(8) それでは、俗語のうちにはどういったものが、ゴチャゴチャしているかと申せば、5つほどあって、先程の造語を初めとして、隠語専門用語、または専門用語、スラング、または、はやりことば、時には流行語などでありまして、お聞き及びのことと思いますよ。

(9) その造語の中の、一語こそがいわゆる、あれやこれや、議論の中心となっているセキュリティなるやつでありまして、すなわち造語とは、まず、その後の真の言い訳とでもいいましょうか、なに故をもって定説語とは、呼ばれるにいたらなかったか、とかの言い訳集めが、資料として、山とつまれていまして、結末としては、造語というのは、これこそが真の意味ではないかと、言われているやつが複数だということなのですよ。いわゆる有力なる通説が、いくつも、しのぎをつくっていて、すなわち、しのぎ中であって、だんとつが今のところ決定していない。もちろん決定さえしてくれたら、そやつこそは定説なのであって、その瞬間に造語は、晴れて定説語と昇格するわけですよ。よくわかりましたか。こういうことだったのですよ。

(10) それでは、造語セキュリティのもつ、有力なる通説の数々とは、どれほどのことなのかについて、始めましょうかね。

@ 有力通説その1は、セキュリティという、語源こそが、テーマでありまして、すなわちイギリス国そのものなのだ。なぜなら、定説がそろっていて、いくらでも、証明可能だぞ。よければコピーくらいなら、あげてもよいぞ。とかの鼻息でありまして。なぜかと申せば、その伝説集こそが、イギリス国そのものともいえる、女王陛下のもつ資料館内に、山と積まれているのでありまして、しかし、誰にでも、配布できるような、安物では決してないので、解っていてくださいね。

A 有力定説 PART その他は、いくつもあるのですが、すごいやつだと思えるやつを、4つほどpick up しながら、お遊びいただけたらよいのですが、まずは、その一つ目としては、セキュリティそのもの、スペル、単語、いいがかり、歴史、考古学、世界史、医学、芸術論、文学あたりを、総なめしたやつがありましてね。まあ、これを一通り読むだけでも、本氣で書斎になど缶詰で、3日はかかる。すなわち72時間ほど速読術の名人級でも、それくらいは、ゆうにかかりそうなボリュームでありまして、しかし、資料がそろっていてのことですからね。これまた、GURUの見識をもって、一言でやっつけますと、改めて、セキュリティなるスペルは6つのアイテムから成立しているのだという有力なる根拠、文字なのでありまして。

(a) まず、こと始めに、頭からかみつくとして、ceからやるとすれば、これは、考古学を極めていなければ、触れることさえ恥じなのですが、まあ、GURUは、もともと恥じ知らずでありまして、何の事はないので言いますが、考古学上のceとは「恥ずかしい」という意味でありまして、それだけのことで終りなのです。

(b) 先ほどのceにaを加えたら、何ごとになるのか。文学なのです。従って、あほでも知っている意味そのもの、すなわち、怒り、喧嘩、戦争、争い、発狂する、爆弾、テロリスト集団、またはダイナマイトあたりでありまして、まあ、文学の領域というのは、そうとうにバーチャルですからね。

(c) 今では、退屈すぎるので、少しスペルの長いやつを、おちょくるとすれば、agurytyでありまして、何のこっちゃかといえばと、わざわざ選ぶらなくても、フランス語に決まっているのでありまして、意味こそは、ためらう、恥ずかしい、命懸け、といったやつなので、もちろん定説用語ですよね。さて、

(d) 4つ目はしっぽのところ、頭はceだったので、しっぽはtyということでなんじゃらほいと尋ねれば、これまた、フランス語で、美しいとか、やはりそうだったのか、あたりでありまして、もちろん、これまた、定説ジャンルであります。

(e) 5つめこそは、rytyなのですが、もちろん、おなじみのやつでありまして、チャリティとかいう単語の、語源そのものでありまして、さらにもちろん、ドイツ語そのものでありまして、故にというか、当然というか、ジャンルこそは伝術論そのものなのですよ。

(f) いよいよ役者が勢揃いでありまして、(a)〜(c)までを重ねあわせて、または、つなぎ合わせて、遊んでみれば、言葉というのは、きちんと学べば、おさまるところにはまるものでありまして、すなわち ceaguryty ということでありまして、万歳とか、めでたしとか、よくやったとか、一息ついたとか、したがって造語なのですよ。造語とは、これほどまでに複雑きわまるものでありまして、定説語でいう、クソマヌケとか、アホとか、バカのモデルのようなやつには「何の事かよく解らない」というお返事しかできないのでありまして、しかし、本氣のやつとか賢いグループにいるやつとかは、先程の72時間そのものが、全身に鳥肌でも立ちそうな、充実極まる幸せ一杯の長時間なのですよ。決して一時ではありませんよね。それでは、さらにこまを進めて、結局セキュリティとは、どういう意味になるかとこの説では、力説しているかと言えば、(a)が恥ずかしい、この伝で(b)ダイナマイト、(c)命がけ、(d)やはりそうだったのか、(e)チャリティとか思いやり、さて、これを加えたらセキュリティと呼ぶことはその通りだが、極めつけの意味こそはどうなるか。しかしそうは言われても、答えようも見つかりそうもないので、ヘラヘラと愛想笑いしか、しかし、それではまずいのであって、ずばり一言で、縛り首覚悟で言いきるならば、「安全」とまあ、あえてこじつければ、恥ずかしがってさえいたら安全、ダイナマイトさえ隠しもっていれば安全、チャラチャラしているより命がけが安全、やはりそうだったのかと相づちさえ打っていれば助けてもらえるから安全、極めつけこそは自分こそはチャリティとか、思いやり一杯の良い人なので、ごめんねとか言えば安全。

B さて、anotherの2つ目は、やはり母国語話でありまして、元祖とか、本家とか、源とか、出生地とか、実家とかいうのは、一角の人物ともなれば何かとうるさくつきまとうはずなのですが、言葉も一角のレベル語ともなれば、争いともなれば、何十年も千年も続いているやつが今もって無数にありまして、このセキュリティもまた、332年ほど文献によれば、日テレ営業中ではないけれど、議論のこと、すなわち論走中とも言いまして、なぜかといえば複数あるからです。

 オリジナル話など複数でさえなければ、それで決まりでありまして、更に母国地選びともなりますと、言葉こそは、人類とともに常に移動してきた旅人仲間でありまして人の行くところ言葉ありとか言いましてね。故に、最も極めつけの母国と言えば、イギリス国、スペイン国、アメリカ国なのです。しかしなに故に、母国がこれほどまでにたった一つの言葉のために、学者たちが人生までかけておしまないか。それこそが生きがいだからでありまして、時には有名にもなれるし、更に経済面でも有利が伴うし、専門学だって出せるし、極めれば博士論文だってとっちゃう。しかし、そんなくそマヌケな学者など一人たりともいないはずでありまして。

 それでは改めて、なに故にそれまでひとつの単語の母国など重要なのかと言えば、そのことが確定しなければその単語のもつ真の意味こそが、徹底できない。更に結果として、いつまでたっても造語止まりで、定語となれないではないか。

 一つや二つ、どうでも良いから相手になどするな。放っておけ。すでに2億語もできているのだから。と、もし仮にあなた様がどこかで一瞬でも、すなわち脳裏をかすめたのであれば、あなたこそはできそこないでありまして、別名くそマヌケなのです。

 安全とは何かについて、今ほど、そして今こそ、世界が必要としたり、求めたりしている時代が、他にあったでありましょうか。安全とは何かについて解らぬまま、知らぬまま、浅い理解のまま、原爆まで戦争するに至ったりするのでありまして、安全なる言葉が造語のままだと、この地球はどうなるのか、とまあ、つながりつつありまして。もはやあなた様が極めつけの、たとえばくそマヌケと定説の有るお方であろうと、言葉のもつの意味こそが人間そのものなのだ、地球なのだ、国連のことなのだ、戦争のことなのだ、くらいのことはお氣づきのことと、今こそGURUは願っているのでありまして。

C さて4つ目は、セキュリティとは、つまるところ結局は安全のことだ、というのであれば、もはや、それはそれでよいではないか。問題があるとすれば、現象論なのだ。人類は今、危機に直面とか、さらされているとかいうのは、誰が見てもその通りなのだから、とにかく何はさておき、早く手を打てよ。そうしないことには、飢餓者がいくらでも生まれるではないか。テーブル囲んで鼻くそなどなめて、議論ばかり休止して、NPO法人にでもなって、飢餓救済のお手伝いでも、とっとと始めたらいかがなものか…、あたりが、これまた有力な通説でありまして、特別、痛接なのです。

D さてどんじりは、言いがかりの極めつけでありまして、一言で言えば、danger 、すなわち安全とは危険の反対語なのだ。これで言い終わったぞ。まあそうかも知れないけれど、改めて申せば、危険すなわち、dangerこそはスラングですらないのです。意味などまったく不明でありまして、したがって辛いのです。言葉とはこれほどまでに困難なのです。故に人類とか、人間とか、あなた様は言葉などどうでもよいとか、知らなかったとか、自分はこのように理解していたとか、ひどいのになるとそんなこと言ったっけ、などという、すなわちくそマヌケでは、ゴミのような、いやそれ以下の存在感しかもてなくて当然のことでありますよ。

(11) したがって、セキュリティとは安全なことかも解らないけれど、定説語とは未だなっていないが故に、国連こそが引き受けない限り、誰一人としてどうすることも、または、いかんともしがたい訳でありまして。

それでは改めて、国連とはどいうことなのか。意味なのか。あなた様のもつ胴体話をおっぱじめることとしましょうか。

(12)United Nations 即ち、国際連盟とはいかなる始まりだったのか。そのことについて、今しばらくレクチャーしたいのですが、なぜかと申せば、The Universal Nations 即ち現在の国連なのですが、それになるまでの数万年間こそが、全てだったのですよ。

(13) 人類のもつ世界史と言えば、国連に関するものでも、山のように膨大な、海のように深甚な、宝石箱のように煌びやかな、宝物でありまして、そのことだけでも、文献のボリュームについてのみ言うならば、5万ページを有に越えたものでありまして。その上、30カ国語ほどの文章で、限りなく上品で、すなわち拡張ある研究文献論文なのでありまして、もちろんGURUのもつ見識というのは、それを何百通りも極めていなければ、ここに一行たりとも、恐ろしくてやれるはずなど、皆無でありまして。絶対に不可能なのでありまして。だからこそのGURU本なのですよ。シャクティパットグル高橋弘二の体験こそが、裏打ちとなっている知識、すなわち見識こそが、もう一度言えば、過去(生)における行者としての体験や、医学者としての知識が裏付けとなっていなければ、GURUのもつ見識などと、間違っても口にしたりはいたしませんからね。お間違いなく。

(14) 国連誕生秘話とでも申しましょうか、そのもつ世界史は、たとえようもなく、残忍かつ優雅そのものでありまして、そのモデルこそがJAPAN なのですよ。

@日本というところは、国連など無縁の、荒れ地のような、くそマヌケランドでありまして、何もないのです。平和とか、国連とか、安全さえも、意味すら解らないのです。知りもしないのです。なぜかと申せば、つい3万年ほど以前までは、ツンドラ状態そのままだったのですよ。無論これは、文献によって、説明しているのでありますからね。あくまでもGURUのもつ見識からでありまして、つくり話などありませんからね。したりはしませんからね。決して勘違いとか、思い過ごしのありませんようにね。

(15) そのツンドラ平野、ジパングに中国大陸とかがやってきて、領土にしたのでありまして、それからやっと人が住めるように、してくれたことこそが、そもそもの最初でありまして、これこそが定説なのですよ。したがって、JAPAN は定説なる学者、学問見識が嫌いなのです。超一流の国とか、人間はすぎさった過去生について、open なのでありまして、しかしヤバイ国とか奴は、現住所ですら、今のご職業ですらも、いやいや、本名ですら、できたら内緒にしておきたい、それは何故なのか。名前など、なぜ隠したいのか。深い深い理由がありまして、もちろん本人だって、名前だけですむのであれば、とにもかくにも、名前を明らかにしたばかりに、生い立ちまで、いや、それも、じーちゃん、ばーちゃんのみでは終わらずに、家系図まで溯られたのでは、誠に困ったことになるはずなのだ。今でいう、同和問題こそは、それが発端だったのでありまして、今もなお、同じなのですよ。

(16) それでは、United Nations 様の生い立ちとは、どうだったのか。GURUと同じく、明と暗なのです。平和と安全のことでありまして、人間と同じなのですよ。すなわち平和こそが明であって、確かにスラングであるからして、仮に平和というのは明るいものだと仮定したら、造語としての安全は、真っ暗闇だったのだ、という世界史なのですよ。

(17) United とは、これまた発展途上人、または、発展途上語そのものでありまして、ミス・ユニバースとか美人コンテストあたりで、ご承知のはずの世界、または国際あたりが、あたらずと言えども遠からじ、の意味でありまして、故に、難しいのですよ。誰だって同じでありまして、生まれたての、すなわち幼児を、3才〜5才までの乳飲み子を、人権について詳しく説明しろと言われても、誠に困難極まること同じでありまして、国連とは、その通りなのですよ。

(18) 数万年前と、まあ、文献にはイタリー語で書いてありまして、何があったかと申せば、ローマ法王ご自身が野に下って、嘆いたのですよ。民というのは、何とまあ、ややこしい争いごとばかりに、何もかも棒にふってしまうのか、誠に、嘆かわしいぞ、せめて誰かに、ややこしい言いがかりをつけたりつけられたりした民を、まあ、けんか仲裁とでもいうか、すなわち、民事裁判のようなことを引き受けてもらえないか、とまあ、ひっそりと、というか、静かに、穏やかに、話したところ、それではと、受けて立ってくれたのは、ユナイテッドさまだったのです。ある武族のトップこそは、そのお方のお名前こそは、それだったのです。すなわち、伯爵の別名こそが、United なのでありまして、これこそが、国際連盟のスタートだったのですよ。それを、今日まで、世界史とともに育み育ててきた所こそが、世界にはいくつもありまして、無論、今現在、国連本部が所存する国々こそが、その中心だったのです。

(19) 再びJAPAN話にかえりますが、国連のことなど、まったく別世界の話でありまして、論より証拠としては、今現在の、民事訴訟を扱うすべての裁判所は、グローバル的なことは、さらにスタンダードの話など、まったくもって、無関係であるが故に、無知そのものでありました。判決(文)は、裁判長の胸三寸、ご都合次第で、国連でも、憲章でも、日本国あたりの憲法でも、法文あたりでも、ご都合のぴったりよいやつだけ、よりどりみどりでありまして、したがって、メチャメチャなのですよ。さらに、論より証拠として、日本のもつ最高裁の判決文こそは、グローバルでも、スタンダードでも、ほとんどありませんよ。さらなる論より証拠としては、JAPAN 最高裁判決文は、まったくの例外を除いて、定説になど、数えられたケースは皆無に近いのでありまして、まあ、真実というのは、恐ろしいと言うか、正直なものでありますよ。

(20)故に、JAPANは、たとえ、建て前では平和主義だ、国連だ、定説主義か、定説語だ、などと、真顔で口にこそするけれど、判決文を読めば、すぐさま単なる建て前だったのだ、本音など、まるで違うぞということが、よほどのアホでもない限り、すぐに解るのであります。

(21) 故に国連とは、もともと仲裁裁判、今では、民事訴訟判決などと、呼びますけれど、元祖そのものだったのですよ。ついでに言いますと、国際法廷における司法裁判所は、国連のもつ能力の一部そのものでありまして、純理論の争いを判断する場所なのですからね。

(22) The Universal Nations 即ち、今の国連本部こそは、一体何事なのか、右手とその反対側、すなわち、平和とセキュリティそのものを民主、または、仲裁、または、仲立ち、または、援助、または、ぶっつぶす、ところでありまして、

(23) 故に国連こそは、絶対的権力そのものをもつ世界で、ただ一つだけのものであるが故に、尊いのです。国連が軍備そのものをもつことの意味は、国連以外の、国などの軍備をもたないがための、そのことこそが、メインでありまして、先ほどふれた通り、今はまだ、生まれたての乳幼児なのだということなのですよ。

(24) それでは、3つめの柱、セキュリティに続いて、The Universal または、United Nations らに続いて、3つめこそは、平和なのでありまして、peace の、どうやら、ことらしいのですよ。

(25) peaceとは、先ほども言いましたが、スラングなのでありまして、なぜかと申せば、難しすぎるのです。確かにpeace なる呼び名は、どうやら、人類がこの地球上に誕生したのと、時を分かち会うほどの言葉であるらしいのですよ。故に、語源国も、母国も、それは地球以外にどこにあったのかと、いなおられるほどの、古株、古顔、古参ものでありまして、後から文句など、言いようも見つからないのですが、だからこその国連話なのですよ。

(26) したがって、セキュリティand ネイションズという前提をもった上で、ピース論を展開しなければ、現実的ではないぞ、何もかも手遅れとなるぞ、といったできごと状態でありまして、真の意味こそは今からなのだ。国連こそが、引き受けたら良いではないかと、まあ、これこそが、現在地であります。

なんだか、ずいぶん長いメッセージを送ってくれて感動です。これはもう、一生の財産にするしか無いでしょう(笑)。でも、一体全体、何を僕に伝えたいのか意味不明です(^^;。とりあえず、お礼のお手紙を送っておきました。


グルメッセージを拝見しつつ、なんとも言い難い感動なので、これは一生の宝物でありまして、早速お礼を言わなければとメールをオンいたしました、悪徳商法マニアックスのBeyond より。

さて、平和と安全についてご解説いただいて感謝の限りでありますが、つまり私は定説語をよく理解できないので、何をお伝えしたいのかいまいち分からないのでありますよ。それでも、この長いメール、すなわち long mail そのものには非常な imoression、すなわち感動を感じさせられ、さすがはグルメッセージと思わせられるのではないか、または感銘なのであります。まあ、定説語を私のようなダーティーハリーに、教えるのは、馬の耳に念仏なのだよ、とお思いでしょうが、これからも何かの折りにはご教授いただきたいのであります。

それでは、どうもありがとうございました。

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